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(ネタバレ注意)野尻抱介 「太陽の簒奪者」 

2002年4月30日初版発行 早川書房 ISBN4-15-208411-1

 異星人とのファーストコンタクトものというのはいろいろ過去にもあるが、異星人の「異質性」をどう描くか、どう設定するかという点が、その作家がどの程度ファーストコンタクトというものをまじめに考えているかを表す指標になる。ファーストコンタクトものの嚆矢であるところのラインスター「最初の接触」にしてもエフレーモフ「天翔けるもの」にしても、登場する異星人たちはメンタリティにおいて人間そのものである。「天翔けるもの」では生態的、生物学的にはあれほどに違う異星人が「ショックで頭を抱える」という仕草をする場面がある。過去の名作に対して遠慮なく言わせてもらえば、あれは興醒めである。

 異星人の異質性を強調するあまり、登場人物はもちろん、読者にすらその実体がまるでわからない、というファーストコンタクトものもある。クラークの「2001年宇宙の旅」、セーガンの「コンタクト」などは、ついにコンタクト対象である異星人がどういう格好をしているのかすらわからず、人間はただただ彼らに振り回されるだけである。この2作に限らず、ほのめかせだけで終わってしまうファーストコンタクトものは多い。それでもこれらの作品は十分面白いのだが、「試験勉強を怠った学生がテスト用紙に与えられた問題とは違う問題の答えを書いている」かのごとき、はぐらかされたような気分になるのは確かである。もちろんそれがとてつもなく難しいからこそクラークもセーガンも回避していることは、よくわかっているが。たとえば「2001年」の最後でタコ型宇宙人に「やあ、よく来たね」とあいさつされたらたぶんそれはそれで興醒めだろうし。
 「太陽の簒奪者」で評価すべき点は、こういう逃げをしなかったことだ。例えば生物の外観を描写したりすると、それによって話が安っぽくなってしまう危険性があるのに、そこを踏み込んであえてコブラのような外見を見せる。有機体でできた生物でありながらコミュニケーションに断絶があることを描いて、より異質感が強くなるようになっている。異質だから描写をぼやかすのではなく、具体的に描くことで異質さを際だたせようとした。その具体的描写の力というのは、こういう異質な物がやってきてしまった人類社会のさまざまな反応の描写にも生きている。主人公の亜紀がコンタクト船で出発する時の「人類社会という、つかみどころのない怪物との戦いは終わったのだ」という言葉が実感を伴って感じられるだけの書き込みが背後にちゃんとあることも、物語としての「太陽の簒奪者」の面白さだと思う。

 難しかったろうなと思われる問題は、異星人の異質性をどこから、どのようにして得るかということである。「太陽の簒奪者」における異星人であるビルダーの異質性は、人間的思考から「個」とか「相手」とかの概念を消し去るという引き算思考で作られている。そしてその異質なビルダーとコミュニケートできるのが“失敗”したAIであるナタリアだけというのは、少しだけ「回避行動」ではあるが、うまく逃げたなぁ、という感じがする。よくナタリアとビルダーで言葉が通じたなぁ、と思ってしまうのだが、どうやら言葉自体がない連中のようだ。それで情報をどうやりとりしているのか悩んでしまうところだが、ビルダー側がさっさと翻訳(言葉じゃないからこの言い方もおかしいんだよな)プロトコルを作ってしまえるほどに賢いのかな。

 ナタリアは偶然による産物として発生したAIだが、これをAIをやってる教授が「非線形方程式がローカルミニマムに落ち込んで解を見つけそこなっているんだ」として「ありふれた失敗例」だと断じているところが面白い。ローカルミニマムに落ち込むということは「失敗」でなく「別解」である可能性もあるわけで、ビルダーは種族ごとこの「別解」に落ちているのであろう。もしビルダーが最初から「個」や「相手」を持たない思考形態であったとするなら、普通の意味で進化・発展することは難しい。だから彼らも、この「別解」を同じように見つけたということになっている。ビルダー社会が人類から見れば「技術文明の発展の先に構築された、社会の失敗例」と言われることは正しいわけだ。もちろん「失敗」なのは地球人的(ビルダーの言葉を借りれば「適応的」)考え方による。ビルダー的な考え方では、自然に適応しようとする(ということの中に「他者とコミュニケートする」というのも含まれる)ことは「適応的」つまりぶっちゃけた話「遅れた」生命体だということになってしまう。むしろ連中から見れば人間など自然環境の一部にしか見えないという形で彼らの無関心さを説明してしまっている。こんなに傲慢な連中が果たしてちゃんと生きていけるのかと思ってしまうが、実際あれだけの圧倒的力であれば生き残れてしまうのだろう(同じ技術力を持った適応型生命には勝てないように思えるが)。
 これ書きながらも時々「そんなんありかなぁ?」と頭が暴走しかけるのだが、それだけ人に頭を使わせるというのはまぎれもなく優れたハードSFだという証拠だと思う。面白くない小説について悩んだりしない。