以下の3.6節は飛ばしました。
ローレンツは「ヘルツの方程式の導出では、電場や磁場の値が座標系によって変化しないと考えている」という点に異議を唱えた。ローレンツがこの点を改良したうえで、さらに、後で述べるマイケルソン・モーレーの実験を説明するための「ローレンツ短縮」という現象なども取り入れるように作ったのがローレンツ変換である。 ローレンツ変換はマックスウェル方程式を不変にするので、ヘルツの方程式のような新しい方程式は出てこない。そのかわり、電場や磁場は
のように、座標系によって違う値を取ると考えた。なお、実際のローレンツの式はもっと複雑なのだが、この式ではのオーダーを無視して簡単にして書いている。
と
は、
座標系での電場と磁場である。二つの座標系は、
座標系から見ると
座標系の原点が速度
で動いていくように見える座標変換でつながっている。ただし、変換はガリレイ変換に似ているが単純ではない。
ローレンツは各種実験をちゃんと再現できるように考えてこの変換にたどりついた。この変換によれば、ある座標系では電場がなく磁場だけが存在していたとしても、その座標系に対して速度で動くような座標系には電場と磁場の両方が存在する。ローレンツは磁場中を動いている電荷が感じる力は、その電荷が静止しているような座標系では電場が存在していて、その電場により力を受けるからだと考えられることを示した。その力こそ
であり、現在「ローレンツ力」と呼ばれている*1;を指す。))。2.2節で考えた動くコイルの問題も、(古いローレンツ変換の式その2)式を考えれば、「動いているコイルから磁場を見ると、そこには電場もあるように見える」という考え方で解くことができる。
ヘルツの方程式では説明が困難であった現象を、「マックスウェル方程式+ローレンツ変換」によってうまく説明することができた。しかしこの時点でのローレンツ変換にはいくつか不明確な点や未完成な点がある。そのためここで説明するとかえって混乱することになりそうなので、ローレンツ変換自体の説明は少し先に延ばす。歴史的には、ローレンツが試行錯誤の末にローレンツ変換を作りあげた後、アインシュタインが特殊相対性原理という形で、その背後にある物理的内容を明確にしてくれた。現在の我々も、特殊相対性原理の考え方を使ってローレンツ変換を考えた方がわかりやすい。
以上からわかるように、エーテルの静止系でのみマックスウェル方程式が成立するという考え方は、いろいろと実験的不都合を招く。その不都合の最たるものが次に説明するマイケルソン・モーレーの実験である。マイケルソン・モーレーの実験は「光の速度は観測者によって変わるはず」ということを確認するための実験であったが、その結果は失敗に終わり、光の速度が変化しないことが確認されてしまったのである。つまり、エーテルの存在=絶対空間の存在にとどめをさす実験であった。
だが、忘れないでいて欲しいのはマイケルソン・モーレーの実験だけがエーテルの存在(絶対空間の存在)を否定しているわけではないということである。この節で述べたように、ヘルツの理論(マックスウェル方程式+ガリレイ変換)ではどうしてもうまく説明できない実験事実がいろいろとあったからこそ、アインシュタインを筆頭とする20世紀の物理学者達はガリレイ変換を棄却してローレンツ変換を採用し、特殊相対論を展開させた。新しい物理というのは、一つの実験だけをきっかけに一朝一夕にできあがるようなものではないのである。
ヘルツの考察から、ガリレイ変換が正しいとすれば、電磁気の基本法則はマックスウェル方程式ではなくヘルツの方程式で表されることになる。このヘルツの方程式は結局は間違っていたわけであるが、間違っていると言っても理論的に間違っているわけではない。ヘルツの方程式は実験によって否定されるのである。ヘルツの方程式が正しいかどうか、あるいはエーテルが存在しているのかどうかを確認する実験として、ここではもっとも有名で、かつ直接的な測定であるマイケルソン・モーレーの実験について述べよう。光の速度がエーテルの運動によって変化するかどうかを確認した実験である。光の速さを測定しよう、というのであれば、一番単純な方法は「A地点で光を発射してB地点で受ける。A地点とB 地点の距離をかかった時間で割る」というものであろう。原子時計などを用いて精密に時間を測ることができる現代であれば、まさにこの通りの実験ができる。しかし、当時はまだそんな測定はできない。そこで干渉を用いて速度変化を検出しようというのがマイケルソン・モーレーの実験である*2。
マイケルソンは以下で説明する原理の実験を、1881年に最初に行っている。以後、1887年からはモーレーと協同で装置を改良し、実験精度を上げながら実験を続けている。実験の目的は、南北方向の光と東西方向の光の速度を比較することである。地球が南北方向より東西方向に大きく動いているであろう(太陽が静止していると考えて、太陽から地球の運動を見ていると考えればこれはもっともらしい)ことを考えると、速度には差が出てきそうに思える。また、たとえそうでなく、たまたまエーテルの流れと地球の自転公転の速度が一致していたとしても、地球は1日の間に1自転し、1年の間に1公転する。したがって長い時間実験を行えば、かならずどこか(いつか)エーテルの風が吹く場所がありそうである。
マイケルソンとモーレーの実験では、図のように、同じ長さの腕2本の上を光が往復する。エーテルが静止している(あるいはエーテルと実験装置が同じ速度で動いているとしても話は同じこと)と考えると、どちらの方向に進んだ波も、帰ってくるまでにかかる時間はとなるだろう。
ではエーテルの風が図で左(西向き)に吹いている場合(あるいはエーテルが静止していて、観測装置が右に動いている場合)を考えよう。断っておくが、以下の計算はガリレイ変換が正しいと仮定した場合の計算である(後でこう考えたのではいけない、ということがわかる)。この仮定のもとでは、2種類の計算ができる。一つはエーテルが静止して実験装置が右(東)に動いているという立場であり、もう一つは実験装置が静止してエーテルの風が西向きに吹いているという立場である。
エーテルが静止している立場: まず、エーテルが静止している立場で考えよう。この立場では、実験装置が右へ動いている、ということになる。その立場で書いたのが上の図の中央と右の図である。実験装置がエーテルに対して速度vで東(図で右)に運動しているとして、南北方向へ進む光について考える。中央から棒の端まで光が進むのにt かかったとすると、ピタゴラスの定理によりが成立する。光が往復にかかる時間はこの2倍なので、
#jsmath( t_{南北}={2L\over \sqrt{c^2-v^2}})<
となる。次に東西である。まず中央から棒の端まで光が進むのにかかったと
する。その間に棒も
進んでいるので、光は
進まねばならない。逆
に棒の端から中央まで戻る時に
かかるとすると、この時進む距離は
でよい。以上から
を解くことにより
#jsmath( t_{東西}={L\over c-v}+{L\over c+v}= {2cL\over c^2-v^2})
が求まる。この立場では、光速はcである。実験装置が動いていることにより、光が到着する時間がずれることが、上の式の分母がcではなくになるという効果として現れている。
実験装置が静止している立場 :この場合はエーテルの風に乗った方向(西行き)では光速がc+vになり、逆風の方向(東行き)では光速がc-vになると考えて計算する。
#ref(): File not found: "hikari.png" at page "相対論2007年度第5回"
また、エーテルの風と直角の方向(北行きもしくは南行き)の光は、速度がに減る(速さcで斜めに進んだ光が、速さvで東に流されると考えれば、ピタゴラスの定理でこうなることがわかる)。
このように考えると、距離Lを速さでそれぞれ割って足し算するという計算で&jsmath(t_{東西});や&jsmath(t_{南北});が計算できる。結果は同じことになるのはすぐにわかる。
以上、どちらの計算でも&jsmath(t_{東西});と&jsmath(t_{南北});が得られる。そして、この二つには差がある。vはcより十分小さいとして近似を行うと、
#jsmath( t_{南北}\simeq {2L\over c}\left(1+{1\over2}\left({v\over c}\right)^2+\cdots\right),~~~~ t_{東西}\simeq {2L\over c}\left(1+\left({v\over c}\right)^2+\cdots\right))
つまり、ぐらいの時間差が出ることになる。cが自転(秒速0.46キロ)や公転(秒速30キロ)に比べて非常に大きい(秒速30万キロ)ため、
は公転速度をとったとしても
程度の値になる。最初の実験ではL=3mほどだったので、時間差は
となり、s以上の精度での時間の測定が必要となる。そこで実際の実験では時間を直接測定するのではなく、光の干渉を用いて到着時間が変化する様子を見定めようとした(実際には到着時間が変化しないという結果が出た)。
二つの光をハーフミラーなどを使って重ねてスクリーンなどにあてると、ヤングの実験やニュートンリングの実験などと同様に、二つの光の光路差によって干渉が生じ、スクリーン上に縞模様ができる(実際に使う光はある程度の広がりがある)。エーテルの風が吹いている時と吹いてない時では光路差が違うので、干渉の(強め合うとか弱め合うとか)の条件が変化する。という時間は短いが、光路差に直すと
がかかって
mとなる。光としてナトリウムランプを使ったとしたらその波長
mに比べ、だいたい20分の1 となる。この光路差の違いは干渉縞の移動という形で感知できる。
実験装置は90度回転できるようになっており、回転しているうちに南北と東西が入れ替わる。光路差はプラスからマイナスへと、この倍変化するので、波長の10 分の1程度光路差が変化する。ということは明線から明線までの距離の10分の1 (明線から暗線までの距離の5分の1)の干渉縞の移動が見られるはずであった。なお、実験で感知できるのはあくまで「光路差の違い」であって、「光路差」そのものがいくらかはわからないことに注意せよ(実際に実験によって測っているのは干渉縞の位置であって、干渉で強めあっているからと言って光路差0とは限らない)。実験装置を90度傾けるのは、他の状況を変えずにエーテル風の角度だけを変えて、その時の光路差の変化の様子を知るためである。
ところが、実際にはそのずれが観測されず、エーテルの風は吹いていない、という結論になった。マイケルソンとモーレー、あるいは別の人々が実験装置を大きくしたり、光を何度も反射させてLを大きくしたりして、いろんな実験を行ったが、結果は常に予想される移動量よりも小さく出た(この移動は誤差の範囲内)。
いくつか、この実験結果への反論(および反論の反論)を紹介しておこう。
運動しながら光を出せばその光の速度はcではないのでは?
つまり「実験装置が動いている場合の計算で速度をcにしているのが間違いなのではないのか」ということだが、例えば音の場合、音源が動いているからと言って音速は変化しない。音速が変化するとしたら、風が吹く(つまり媒質が運動する)か、観測者が動くことによってみかけの音速が変化するか、どちらかである。今は媒質の運動しているかどうかを観測する実験をやっているのである。なお、の計算ではc+vやc-vが現れているが、これは光速が変化しているのを意味しているのではなく、棒の両端(光源ではなく、光を受ける方)が動いているために到達時間がのびたり縮んだりしていることのあらわれである。式(t_1の式)と式(t_2の式)の作り方をよく見てみよう。
たまたま、エーテルの移動と地球の移動が同じ方向だったのでは?
だとしたら、その6ヶ月後に同じ実験をしたら、公転速度の二倍分、エーテルに対して地球は移動しているはずである。しかし、そんなことはなかった。
エーテルが地球といっしょに運動しているのでは?
この実験だけを説明するのなら、「エーテルは地球表面といっしょに運動しているので、地球上で実験してもエーテルの運動は検出できない」という考え方でも説明できる。しかし、そうだとすると地球表面でエーテルが渦巻くような流れを作っていることになり、外から地球にやってきた光は、地表面近くのエーテルの流れに流されることになる。これでは、我々が見ている星の位置は、地上のエーテルの流れに流された分ずれることになってしまう。しかし、そんな現象は確認されていない。また、マイケルソンとモーレーは屋外での実験も行っており、「部屋の中のエーテルは部屋と一緒に動いている」という考え方も正しくない。
実験の精度が悪かったのでは?
実験というのは、「これを判定するためにはこれだけの精度が必要である。ゆえにこのように実験装置を組み立てる」という計画を持って行うものである。マイケルソンらも、上に書いたような「光の干渉縞はどれだけ移動するはず」という予想をもって、誤差の精度がその予想より小さくなるように注意して実験を行っている。正しい実験家は、精度が確保できないような実験は最初から行わないのである。だから「古い実験だから精度が悪い」などということはない。また、この実験自体は現在でも(光にレーザーを用いるなど、さまざまな改良をしたうえで)行われているので、「古い実験だから」などという反論は、そもそも成立しない。
なお、現在はこのマイケルソン・モーレーの実験装置は重力波の検出装置に使われていたりする。
重力波って何ですか?
静電場や静磁場に対して電磁波があるように、重力が波のように伝播するという現象があるんです。それが重力波。一般相対論で出てきます。
マイケルソン・モーレーの実験でエーテルの速度が検出されなかったことは、物理学者たちに衝撃と困惑を与えた。ローレンツは&jsmath(t_{東西});と&jsmath(t_{南北});が倍違うことから、「東西方向の棒の長さは
倍に縮んでいる」という説を唱えた。これが古い意味での「ローレンツ短縮」である。フィッツジェラルドも同じようなことを考えていたので「ローレンツ・フィッツジェラルド短縮」と呼ぶこともある。
ローレンツは、この短縮は観測できないと述べている。なぜなら、この短縮を観測しようとして物差しをあてると、その物差しも一緒に縮んでしまう。また、目で見ようとしても、見ようとする目自体も横に短縮している。よって地上で、同じ速さで走っている我々がローレンツ短縮を測定することはできないのである。地球の外から見れば見えるだろうが、その短縮の割合はであり、
が
程度だから、縮む割合は
程度となる。そもそも、この精度で長さを測定すること自体が難しいだろう。
本によっては、「ローレンツ短縮」を相対論の帰結である、と説明しているが、ローレンツはあくまで実験を説明するためにad hoc*3にこの短縮を導入したのであって、相対論の帰結として理論的に導き出したわけではない。
もう一つ注意しておく。このローレンツ短縮という考え方では、マイケルソン・モーレーの実験について説明することは可能だが、そのほかの実験を説明するにはこれでは足りない。「ローレンツ変換」はその一部として「ローレンツ短縮」と同様の現象を含んでいるが、より広い意味がある。
「ローレンツ短縮」も「ローレンツ変換」も、アインシュタインではなくローレンツの名前がついている。どちらもアインシュタインより前にローレンツが提出しているからである。しかしローレンツは(同様にこのあたりの研究をしていたポアンカレもそうなのだが)「ローレンツ短縮」を、例えば「エーテルの圧力によって物体が縮む」というような、力学的な意味での短縮だと考えていた。「ローレンツ変換」に関しても「こう考えればうまくいく」という提案であって、その意義を理解してはいない*4。
後で出てくるアインシュタインによる考え方とはその点が違うので注意すること。
[問い3-1] ローレンツ短縮という現象が起きているとすると、確かに二つの光はエーテル風が吹いていても吹いていなくても、同時に到着する。しかし、この立場で考えると、ある二つの事象が、エーテル風がない時には同時であるのに、吹いている時には同時に起こらない。それは何か???
答は「光の反射」
上の問いの答えからわかるように、マイケルソン・モーレーの実験を解釈するには、単なるローレンツ短縮では足りず、時間に関するもっと大胆な座標変換が必要となる。それがどのようなものかは、次の章以降で解説する。
マイケルソン・モーレーの実験は100年以上前の実験であり、当時の実験技術の粋をこらして実行されたものとはいえ、現代の技術でならばもっと精密な実験が可能である。もちろんそのような実験も行われており、マイケルソンとモーレーの実験に比べると精度は10万倍に上がっている*5。もちろん、光速度不変の原理を疑うに足る証拠はまったくない。
しかも、現代ではもっとシンプルな方法で光の速さを測定できる。「A 地点で光を発射してB 地点で受ける。A地点とB地点の距離をかかった時間で割る」という方法である。マイケルソン・モーレーの実験ではエーテル風の影響はのオーダーであったが、このような直接測定を行えば
のオーダーで影響が出る。一方、現在の原子時計が
秒ぐらいの精度で時間を測ることができる。
逆に、「光がこれだけの遅れで伝わってきたからA地点とB地点の距離はこれこれである」という原理で現在位置を測定する機械がある。カーナビなどで使われているGPS(Global Positioning System)である。GPSは複数の人工衛星からの電波を受信して、その電波が発信源からどれくらい遅れて到着したかということを計算して自分の位置を測る。衛星Aからの電波が衛星Bよりの電波に比べてより遅れているのなら、自分は衛星Bの近くにいると判断する、という具合いである。このような機械がうまく動作するためには「光速が一定である」という大前提がなくてはならない。衛星は頭上2万キロぐらいの高さを回っている。カーナビの精度は数メートルぐらいであるから、の精度で距離が測定できていることになる(誤差の原因は、電波が大気中を通る時の速度変化と、軍事利用されないためにわざと混入されている誤差)。エーテルの風が吹くという考え方がもしも正しいならば、GPSの衛星から来る電波の速度が季節によって
ぐらい変化してしまうことになるので、
の精度で距離を測ることなど、とてもできない。つまり、現在我々の生活に直接関係する部分でも、エーテルが存在しないことを前提とした機械が使われており、しかも何の問題もなく動作しているということになる。すくなくとも現在の実験のレベルにおいて、光速度不変を疑うことはもはやできない。すくなくとも現在の実験のレベルにおいて、光速度不変を疑うことはもはやできない。もちろん今後実験精度がさらにあがった時に何か変なことが発見される可能性は零ではないが、それを言い出せば、もともと物理における全ての法則は実験精度の範囲内でしか保証されていないのは当然のことである。
カーナビの原理についてはアニメーションプログラムを見てください。
[演習問題3-1]2.3節の最後では、エーテル風の速度vがちょうどcの時に、止まっている電磁波がヘルツの方程式を満足することを確認した。速度がちょうどcでない場合、電場や磁場はどんな式になるか。そして、それはヘルツの方程式を満足しているか。
[演習問題3-2]サールの思考実験で、コンデンサーが速さvで動いている時に発生する磁場によって働く極板の間に働く力が、極板が静止している時から働いていたクーロン力と比べると、という因子がかかるぐらい小さくなることを示せ。なお、計算は概算でよい(ちゃんと計算した場合の答はもっと複雑である)。
[演習問題3-3]
z軸と一致する無限に長い直線上に、線密度ρで静止した電荷が分布している。この時、z軸からrだけ離れた場所には、外向き(z軸から離れる向き)に、の電場が存在する。
これを速度で動きながら見たとしよう。どれだけの磁場が発生することになるか?
・(古いローレンツ変換の式その2)式を使って。
・どれだけの電流が流れているように観測されるかを考えて。
の2通りの方法で計算し、一致することを確認せよ。
なお、のオーダーは無視してよい(つまり後で出てくる正確なローレンツ変換の式は使わなくてもよい)。
[演習問題3-4]マイケルソン・モーレーの実験で、二つの腕の長さを変えたとしよう(東西はL、南北はL')。この時はエーテル風が吹いていない状態でも時間差がある。エーテル理論の立場に立ち(つまりガリレイ変換を用いて、光速は変化するという立場にたって)エーテル風が吹いていない場合の時間差と、エーテル風が吹いている場合の時間差を計算し、ローレンツ短縮が起こったとしても、この二つが違う値を持つことを確認せよ。
(註:このような実験は1932年にケネディとソーンダイクによって行われている。「エーテル風の分だけ光速が変化しているがローレンツ短縮が起こっているのでマイケルソン・モーレーの実験ではそれがわからない」という仮説が正しいなら、この時間差は測定できるはずであるが、できなかった。ということは、ローレンツ短縮だけでは実験結果を説明することはできないのである。この実験も含めてちゃんと説明できるのは次で説明するローレンツ変換である。)
この章では、実験からわかった「光速度は誰から見ても同じである」という事実をどのように解釈しなくてはいけないかを考える。前半では図形(グラフ)でその内容を理解し、後半では数式を使って理解していこう。
ここまでで、マックスウェル方程式がガリレイ変換で不変でないということを述べた。この解釈として、マックスウェル方程式は特定の座標系でしか成立しない方程式であると考えることもできるし、ガリレイ変換が正しくないと考えることもできる。しかし前者は実験により否定されてしまったので、後者を考える必要がある。マイケルソン・モーレーおよびそのほかの実験の結果として「光速はどのように動きながら測ってもcである」という事実がある。つまり、マックスウェル方程式は全ての慣性系で成立していると考えるべきなのである。だから、それにあうように理論を作らなくてはいけない。よってガリレイ変換の方を修正する必要が出てくるのである。
アインシュタインは「物理法則は全ての慣性系で同じである」という要請を特殊相対性原理と呼んだ。この物理法則の中にマックスウェル方程式も入っているとすれば、これは光速度不変の原理を含んだ原理である。そしてこの原理が成立するためには、ガリレイ変換ではない座標変換を作らなくてはいけない。まず図的表現(グラフ)から「光速度不変から何が導かれるか」を示そう。
長さ2Lの電車を考える。ただし、今はこの電車は動いていない。中央に人間が立っている。前方の端(人間からの距離L)と後方の端(人間からの距離はL で同じ)に電光掲示板式の時計があるとする。今、ある時刻(図では0時0分0秒とした)を示す時計の光は、時間後(図では1秒後として書いた)に中央の人間に到達する。つまりこの瞬間(図では0時0分1秒である)、中央の人はどっちの時計を見ても0時0分0秒という目盛を読めることになる。
この電車の図の動くバージョンを見せながら説明しました。
電車の前方から後方へ向かう方向へと移動している観測者がこの現象を観測したとする。この観測者から見ると、電車は前方に向けて運動しているように見える。
ガリレイ変換的な考え方(つまりは我々の直観に訴える考え方)からすると、前方から出た光は、観測者の運動と同方向に伝播することになるので、観測者の速度の分遅くなる。同様に後方から出た光は観測者の速度の分速くなる。一方、光が到達するまでの間に電車の中央は前方に移動する。それゆえ、結局は同時刻に出た光が同時刻に中央に到達する、ということになる。この二つの図は、どちらも同じ現象を表しているのである。上の図は止まっている電車を見ている図で、下の図は止まっている電車をわざわざ走りながら見ている図である。
しかし、実験事実はこのような(直観的に正しく思える)考え方を支持しない。実験によれば光速度は一定であるから、「後方から出た光は観測者の速度の分速くなる」などという現象は起きない。では、左図のようになるのだろうか。だが、これもおかしい。なぜなら、この図では光が中央に到着するのは同時ではない。同じ現象を見方(観測者の立場)を変えて見ているだけであるということに注意して欲しい。中央の人は「自分には同時に光が到着した」と思うはずだ。そして、その現象は電車の中の人が見ようが外の人が見ようが変り得ない。
満足のいく解釈は、前方と後方で時間がずれていると考える他はない。つまり、「同時刻」という概念は観測者に依存するのである。したがって、動いている人にとっての時刻t'が一定になる線(1+1次元で考えているので線だが、3+1で考えていれば3次元超平面)は、時刻tが一定の線に対して「傾く」ということになる。
ガリレイ変換の時は、t軸(x=一定の線)とt'軸(x'=一定の線)は傾いたが、x軸とx'軸は同じ方向を向いていた。しかし、相対論的な座標変換においては、t軸もx軸も、両方が傾かなくてはいけない。そうでないと、光速度一定を満たすことができない。式で考えると、これはt'の式の中にx,tの両方が入ってくることを意味する。
ここでグラフを描きながら、t軸とx軸が傾くことを確認しよう。作図を楽にするために、縦軸はt,t'ではなく、これに光速度cをかけたct,ct'とする。こうすると、縦軸と横軸は同じ次元になると同時に、光の進む線がグラフの上ではぴったり45度の線になる(光は単位時間にc進むから)。以後、縦軸はct軸またはct'軸である。
まず、電車が静止している座標系での、電車の先端、中間にいる人間、後端のそれぞれの軌跡を図に書くと、左のようになる。縦の3本の線は左から、電車の後端、人間、先端の軌跡であり、斜めに走る線は光の軌跡である。A点で電車の後端から出た光と、B点で電車の先端から出た光が、M点で人間の目の前ですれ違い、C点とD点に至る様子を表している。
次に、同じ現象を左向きに速さvで走りながら(つまり速度-vで走りながら見る)。電車の先端、真ん中の人間、後端は下左の図のような動きをする。
さて、この図の中にABCDMの各点を書き込んでいこう。まず両方の座標系の原点をAとすることにして、A を書く(どこかに座標系を固定しなくてはいけないのだから当然だ)。次にA点から光を出す。光はこの座標系では常に45度の方向に進む。そしてそれが人間の軌跡と交わるのがM点。そこを通り抜けて電車の先端の軌跡に達する場所がD点である(上右図参照)。
では次に、先端から出た光の軌跡を書いてみよう。ここで大事なのは、この光はM点を通過しなくてはいけないことである。なぜなら、この光が0時0分0秒の時計の文字盤からの光だとするならば、この人はこの(M点で表される)瞬間、前を向いても後ろを向いても、ちょうど時計が0時0分0秒を示さなくてはいけない。つまり「0時0分0秒という文字盤の光」が同時にこの人を通過しなくてはいけないのである。今考えている座標変換というのは、見る人の立場によって物理現象がどう変わってみるかを式で表すものである。「この人がどっちを向いても0:0:0が見える」という事実はどちらの座標系で考えても成立しなくては行けない、物理的事実である。よって、M点から右下と左上に45度の傾きの線を伸ばしていく。結果が次の図である。
これから、x'-ct'座標系(電車が静止している座標系)において「同時」であるA点とB点は、x-t座標系(電車が運動している座標系)においては同時でない。
なお、同時の相対性にずいぶんこだわっていろいろ図を書いて説明しているが、それはこの同時の相対性こそが相対論を理解するのにもっとも重要な(そして、それゆえにとっつきにくい)概念だからである。この説明で「わかった」と思えた人は、相対論理解という山の七合目までは来ている。
この電車のグラフの動くバージョンを見せながら説明しました。
ローレンツさんはエーテルがあるからローレンツ短縮が起こると考えたのに、エーテルがなくてもローレンツ短縮は起こるんですか?
起こります。つまり、エーテルが原因というわけではなく、長さのスケールが変わってしまっていたということです。ローレンツの考えでは、物体が縮んでいたんですが、実際は物体が縮むという力学的な話ではなくて空間のスケールそのものが変わっていたわけです。
電車の中の人が左右からくる光が中央で同時に来たという証言はどのようにして求めているのですか?
「同時に来た」というのは観測です。そして自分が電車の中央にいるのだから、「先端と後端で同時に出た筈」と推測する。
重力波の話をしてましたが、これは万有引力とは別ですか?
万有引力と同じですよ。
見ている人によって時間や長さが違うとは驚き!(複数)
驚きですが、これが理論的に導けてしまうというのがすごいところです。
ローレンツ短縮では実験装置の縦棒の部分の横幅も縮んでいるのですか? ここは光の進む距離には関係ないと思うのですが。
関係ないのですが「エーテルに対して運動しているものは縮む」という法則を作って説明しようとした以上、横棒が縮めば縦棒も縮まないと不公平・・というか法則に合わないのです。
マイケルソン・モーレーの実験装置の速度によっては反射するタイミングが2回あっても交わらない時がありますよね?
ん??「交わらない」って二つの光が出会わないってこと?? それだったら絶対出会います。というより、実験装置から円形(実際には球形だけど、図の上では円形)に出た光のうち、鏡で反射してまた出会った奴を考えているからです。
チェックリストを見るとローレンツ変換からは今までの話が全てつながっているから復習もしっかりしつつ理解できるようにしたい。
チェックリスト活用してください。実際、相対論の授業というのは「ローレンツ変換って何?」ということが理解できるかどうかにかかってます。
マイケルソンさんとモーレーさんは実験をいっぱいやってがんばったのに無駄ではなかったのだけどお疲れ様という気分です。
ほんとにお疲れ様でした。
昔の物理学者は、実験装置が動いているから光も加速されたとは考えなかったのでしょうか?
それは可能性として考えたかもしれませんが、音などの他の波動との比較からしても、そんなことは起こらないので却下されたのだと思います。波は発生する装置が動いたからといって加速されたりはしません。
光源が光を出すのが電車内の人にとっては同時で電車外の人にとってはずれがあるということは、「万人から見て物理法則は変わらない」ということに違反しないのだろうか?
「電車内の人の目の前で光がちょうどすれ違う」という現象と「同時に光が発射される」のどっちを優先すべきか、という問題になります。というのは、両方を満足しつつしかも光速度不変の原理を満足させることはできないからです。ここで大事なのは、「同時に光が発射される」というのは電車の先端と後端という「違う場所」の話なのに対し「電車内の人の目の前で光がちょうどすれ違う」というのは「目の前」という一点で起こったことです。違う場所の時間がずれても、起こる物理現象は変化しないのです。それに対し、「目の前で光がすれ違う」というのが変わってしまったら、明確に違う物理現象になってしまいます。
電車の外から見ている人が先端・後端から光が同時に発射されていると見えるというのがよくわかりませんでした。
あれ?? 電車内部で見ていると同時刻に見えるが、電車外部から見ると同時に見えない、という話をしたつもりだったんだけど。「同時に発射されているとするとこういうふうにおかしくなる」という部分の話を聞き間違えた??
量子力学の講義で光には質量がないって知ってすごく驚いたんですが、質量がないということは光は重力を受けないんですか? 受けるとすればmgの他に別の項があるんですかね?
光は質量はありませんが、重力の影響は受けて落ちます(下に曲がる)。その方程式はF=mgのような単純なものではなくて、けっこう複雑です。なお、光になぜ質量がないのかというと、質量の定義が関係してくるんですが、それはこの授業の後の方で話します。