前回の授業の「感想・コメント」の欄に書かれたことと、それに対する返答は、
にあります。
前回は、さらに以下のチェックテストの答えを書いてもらいました。
下の図は、爆撃を行っている爆撃機の写真である。
下の図は写真の状況を模式的に表したもの(爆弾は代表して三つのみ描いた)である。
三つの爆弾それぞれに働いている力を(●が作用点)を使って、速度をを使って矢印で表し、上の図に描き加えよ。
この問題は「MIF誤概念」が効く(?)例です。
速度に関する解答は、大きく分けて、
のような3種類が出現する(まれに、左斜め下も現れる)。3種類の解答(細かく分けるともっと種類は多い)が出るのは面白いところである。
今回の皆さんの解答でもこの3種類が現れました。残念ながら、どれも正解じゃないです。
力に関する解答は、だいたい、以下の2つに分けられる。
今回の皆さんの解答では右の答え(誤答)は例年に比べ少なかったです。先にしたMIFに関する説明が浸透したかな?
では、こういう解答が出る、ということを踏まえた上で、次のページに正解を書きます。
正解として、下のアニメーションを用意した(見終わったらブラウザの戻るボタンで帰ってきてください)。
正解を図解しておくと以下の図で、速度は白い矢印である。
速度は、水平方向の成分(図の、右を向いたピンクの矢印)は一定で、鉛直方向の成分(図の、下を向いた水色の矢印)が増加していく(よって水平成分と垂直成分の足し算である速度は右斜下を向く)という絵が描ける。
速度が真下を向いてしまう人は、爆撃機から外に出ると「速度」という物理量も(これまでどうだったかとは)関係なくなってしまうという考え方をしているのではないかと考えられる。
実は速度は(力が掛からない限りは)変わらないのが正しい(慣性の法則)のである。今の場合は下向きの重力が働くのでそれによって速度は変化するが、それは鉛直方向であって、水平方向の速度は不変である。
爆撃機から出ると速度が消えてしまうのなら、
のように爆弾は飛行機より後ろにいることになるはずである。写真でそうなっていないということからこれが違うことはわかるはずなのだが、物理現象を読み取ることができていない。
速度が真右を向いてしまう人は、「落ちている」という現象を忘れてしまっているようだ。
なお、右向きの速度を持っていること自体は正しいのだが、速度が右向きの成分を持つ理由を質問してみると、
もしくは
という解答が返ってくることがある。これらは、「速度」と「力」の概念が分離できていない回答だと思う。運動=力ではないのであるが、そこが理解できていない。誰かが「力」を込めた結果が物体の運動であることには違いはないのだが、そこが曖昧なままの理解になっている。
この答えでもう一つ問題なのは、爆弾はすでに爆撃機から離れているのに爆撃機からの影響を受け続けていると考えているところである。重力やクーロン力などの遠隔力はともかく、今の場合爆撃機から爆弾に力が働いたりはしない。
なお、左斜め下の速度を描いてしまう人も少しいる。これは無意識に「爆撃機に乗っている人」に視点が移ってしまったのかもしれないし、後で説明する「空気抵抗」を考えて、しかも「力=速度」になってしまったのかもしれない。
MIFについてはだいぶ説明したがなお、「速度の向き」と「力の向き」がごっちゃになってしまっている回答が多かった。
力の方は、存在しない「右向きの力」を描いている解答が出てくる(前ページの右の図)のだが、ここでも「力」と「速度」の混同(MIF)が見られる。
では誤概念にハマらないためにはどうすればいいかというと、
という言葉を思い出したいところだ。
運動方程式 $\vec F=m{\mathrm d\vec v\over \mathrm dt}$を信じるなら(もちろん信じていいのだ!)、力が働かない水平方向の速度は変化しない。あるいは逆に、水平方向の速度が変化してないと観察されることから、水平方向の力はないとわかる。
ここで「水平方向に力が働いてないのにどうして水平方向に動くの?」と考えてしまう人は、まだMIF誤概念から抜け出せていない。
動画の中でも説明した、爆弾一個一個の軌跡を見たい人は、↓のアニメーションを実行すること(見終わったらブラウザの戻るボタンで帰ってきてください)。
MIF似関連する話題として「そぼくなぎもん」を紹介しておこう。以下の文章は、「おもしろくても理科」(清水義範著・講談社文庫)からの引用である。
西原さんの疑問にあなたは答えられるだろうか?---「おもしろくても理科」の中では、著者の清水義範氏が、この説明に悪戦苦闘している。理科を教えられた人の中に生まれたこういう「素朴な問い」は、「バカにされるかもしれないので言えなかった」とならずに、早めに解消しておきたいところだ(自然への疑問を解決することが理科という教科の使命である)。
動く物体は人間みたいな複雑な物体じゃない方が考えやすいので、ジャンプじゃなくボール投げにして、以下のような問題を考えていくことにしよう。
素朴な問い
という問いに対してちゃんと答えられるだろうか?
問いに答えるために、電車と、その中での物体の動きをアニメーションで見てみよう。
↑は説明ビデオであるが、
に行くと実際に自分で動かせるので、とにかく自分でやってみてください。
やってみたうえで、上の問いに対してどう答えればいいかを考えよう。
正解を考えてから、次へ進もう。
アニメーションを動かしながら実感して欲しいことは、電車内と電車外という立場の違いで、運動がどう違うかという点である。
その2つの立場の違い(立場が違うと見える現象が違う)を理解した上で、
と納得して欲しい。
上の2つの図は、同じ現象を電車内と電車外で記述したものだが、どちらも正しいし、どちらも物理法則(運動方程式)に即した動きをしている(テキスト27ページに詳細は説明があるのでそこを読んでおいて欲しい)。
テキストにも書いたことだが、ここで強調しておくと、よくある(そして、根絶したい)誤解は、
というものだ。実際にはそうではなく、手から離れてても速度は残る。
アニメーションの中で、速度と加速度と力をのように表示しておいたので、動かしながら速度の変化を(電車の中と外でどう違うかを確認しつつ)見て欲しい。
この疑問には、「電車内と電車外のそれぞれの立場でちゃんと絵を描く」ことで答えることができる。
電車内で「まっすぐ真上に投げ上げて手元に戻ってくる」という現象の時間経過を描くとと図の左の列のようになる。
これを電車外から見たのが図の右の列である。電車や人はみな右側に運動しているので、放物線を描いて物体が運動していることになる。
じゃあなぜ物体(投げ上げられたボール)は電車外で見ると放物線を描く運動になるかというと、実は投げ上げる前から、ボールは図の右向きの速度を持っているのである。
電車内で見て真上に投げ上げられた物体は、実は電車外から見ると斜め上に投げ上げられたことになる(「相対運動」という概念も持っていないと、この問いには答えられない)。
電車内の人は、自分は投げ上げるという動作によって、ボールにのような速度を与えたつもりでいる。そして、電車内ではその速度を「初速度」とする運動が起こる。
ところが同じ現象を電車外で見ると、ボールは投げ上げられる前から、のような速度を持っている。これに、人によって加えられた速度が足されることで、ボールの初速度はのようになる。
この初速度を持ったボールは、その後
のような運動をする。
この放物線を描く運動は、電車の外で斜めにボールを放り上げた場合の運動と(電車外で見れば)同じ運動である(下の図参照)。
この運動を電車内から見ると「真上に上がって真下に落ちてくる」という運動になる。
「人が投げ上げる前」を考えると、このボールは電車と同じ速度で走っていた。この「人が投げ上げる前に持っていた速度」は、人がボールを投げた後も消えずに残っている。これを「手を離れると速度は消えてしまう(残らない)」というふうに考えると「自分より後に落ちるのでは?」という考えをしたくなるのである。
この電車の誤解が起こる理由は、いろいろな要素が混じっているのだが、上のように「ボールが手から離れると、もう『誰もボールを運んでいない』から止まってしまうのではないか」という誤解をしてしまうことはその要素の一つであろう。
人類がずっともっていたこのような誤解を正したのが、力学の3法則の一つ(第1法則)である。
以下が運動の第1法則である。
慣性の法則
である。「もしくは」以降が重要だ(静止していることは納得しても、等速直線運動していることもある、ということを納得できない人は多い)。
この法則は日常の感覚(床にボールを転がすと、いつかは止まる)にはあわないが、それは日常生活においては「力が働いていない」ことは(ほぼ)ありえないからである。むしろ「押せば動く」というのが我々の素朴概念である。
これは子供の頃、おもちゃの車を押して動かしたころから持っている「根強い素朴概念」である。
この「物体が動くなら、誰かが力を出している」という間違った素朴概念ができあがる理由は、この世界には摩擦や空気抵抗など、「運動を邪魔する力」すなわち「運動を止めようとする方向に作用する力」が存在しているからである。
この力(摩擦力や空気抵抗)は人間が出しているものではないし、目には見えないからその存在が実感しづらい。
ガリレオは斜面を用いた実験を繰り返すことで「摩擦」や「空気抵抗」など、「運動を邪魔する力」がない場合に何が起こるかをイメージし、それから「法則」を見つけることができた。我々の常識は摩擦などの「邪魔」によって隠された世界の中で作られたものなので、その「邪魔」を注意深く取り除いていくことで、本当の法則が見えてくる。
なお、この法則を発見したガリレオが天動説に反対して「地球は動いている」と言った人でもあるというのは偶然でもなんでもない。「地球が動いているなら我々は落ちてしまうはずだ」というのが「慣性の法則を知らない人たち」の常識だったからなのである。
この慣性の法則があるおかげで電車でジャンプすると「元の場所」に降りるし、人類が秒速30キロメートルで動いている地球から放り出されることもない。
なお、「慣性」と「慣性力」は全く別の概念である。後で説明するが、慣性力はあくまで「非慣性系(という特別な状況)で働くみかけの力」であり、「慣性」は逆にどんなときでも物体が有している性質である。そして「慣性」は「力」ではない。
単に単語の意味として「慣性力」を誤解している例も多いが、同様に「慣性」というのを「力の一種」と誤解している例も多く見られる。たとえば「投げられたボールが手を離れても動き続けるのはなぜですか?」という問いに、
と答えるのはその例である。慣性は「動いているものが動き続けるという性質」ではあるが、それは「力」ではない(力とは別の概念である)。↑のように答える人は、力と慣性という別のものをごっちゃにしている(違う概念が分化できてない)。
物理法則を教えるというのは(上の文章を教えることではなく)この「みんなが持っているけど、実際は間違いである誤解」を正していくことでもある。
慣性の法則を発見したガリレオが天動説に反対して「地球は動いている」と言った人でもあるというのは偶然でもなんでもない。「地球が動いているなら我々は落ちてしまうはずだ」というのが「慣性の法則を知らない人たち」の常識だったからなのである(ガリレオはこの誤解を正した)。
この慣性の法則があるおかげで電車でジャンプすると「元の場所」に降りるし、人類が秒速30キロメートルで動いている地球から放り出されることもない。
せっかく「見る人の立場(電車内と電車外)で違う」という話をしたところなので、「電車内の人間に後ろに働く力(実は見かけの力)」について考えてみよう。
電車(あるいはバスでも車でもいいが)が発車するとき、乗っている自分に後ろ向きに「力」が働いて「おっとっとっと」となるという経験は誰にでもあると思う。この「力」は見かけのものであって実在ではない。下の図は電車内の立場でこの現象を描写してたものである。
では、電車の外から見たら、この「見かけの力が左に働いて人間が倒れそうになる」という現象はどう見えるだろう???
正解は下の図の通りで、2つの立場のどちらを見ても起こる現象は同じだが、内部の人は(見かけの)力が後ろに働いたように感じるし、外部の人は内部の人に働く力が足りなかった(ので電車に置いていかれた)ように感じる。
見る立場による違いを確認しておこう。
先にやった「電車でジャンプ」の問題は、等速運動している電車の中と外の話であった。このページで考えたのは「加速度運動している電車の中と外」の話である(こっちの方が複雑なのだ)。加速度運動していると「見かけの力」が発生するという点に注意が必要である。
なお、この「見かけの力(慣性力)」については先の授業でも触れる。
見る立場の違いに関して、次のクイズを考えよう。
第3回感想・コメントシートのクイズ
上の問題の逆を考えよう。等速直線運動していた電車が急停車して、人が前につんのめった。このとき、電車内の物理現象と電車外の物理現象、それぞれ正しいものを選べ。電車内で人がつんのめった理由
電車外から見て、人が電車内でつんのめった理由
以上で第3回の授業は終わりです。各自のwebclassへ行って、「第3回授業感想・コメントシート」のアンケートに答えてください(今日の問題を見た感想の選択回答が一つ、自由記述の感想・コメント欄が一つあります)。これらは出席の代わりです(この授業は出席点はありませんが、皆さんがどの程度受講しているかも確認したいのと、反応もみたいので)。
なお、webClassに情報を載せていますが、授業があった日の午後8時より約1時間、オンラインオフィスアワーとしてzoomを開いてます。質問や相談などがある人は来て話してください。
webclassでのアンケートによる、感想・コメントなどをここに記します。
青字は受講者からの声、赤字は前野よりの返答です。
主なもの、代表的なもののみについて記し、回答しています。