前野[いろもの物理学者]昌弘
太陽系面外警備船の任務ってのは、ほとんどの時間が暇な上に、話し相手は相棒一人しかいない。だからついつい、普通なら話さないような話まで相棒にしてしまうことになる。その日も俺は、機器の点検というルーチンワークをこなしながら、相棒のロッシに、地球を出る直前にやっていた(そしてまだ継続中の)夫婦喧嘩の話をしていた。
「話を聞いていると――」
ロッシは作業の手を止めず、こっちを見ないまま言った。
「どう考えてもあんたの方が悪いな。奥さんに謝りなよ」
やれやれ。何ヶ月もの間、一隻の船に閉じ込められる相棒の肩も持ってくれないのか、こいつは。
「わかっているさ。だから俺だって、いつもはしない食事の後の食器洗いをやったり、部屋の片付けしてみたりしてみたんだぜ。女房のやつ、それをきっかけに仲直りしようとか、そういう気が全然ないんだな」
ロッシは今度はこっちを向いて言った。
「だから、口で謝らなくちゃだめだって。言葉ってのは大事なんだぜ。口に出すってことが大きな効果を生むんだ。俺のお袋だって――」
ロッシのお袋の話は結局聞けなかった。突然、通信機が鳴りはじめたからだ。俺とロッシの二人は、しばらくの間、通信機を通じて入ってくる指令を読むのに時間を費やした。読み終わった俺達は、顔を見あわせると疑問をぶつけあった。
「なんだこりゃ」
「ミサイルを小惑星の地面に向かって撃て、って書いてあるな」
「ずいぶん細かい指定がついているが、なんだってこんなことしなくちゃいかんのだ?」
「しかも、最後の“軌道の変化に注意せよ”ってのはどういうことだ?―― ミサイルごときで小惑星の軌道が、注意しなきゃいかんほど変わるのか?」
「わけがわからん。とにかく問い合わせてみよう。まぁ、加速は開始するがね」
俺達が乗っている太陽系面外警備船ってのは、太陽系の惑星の軌道面から離れた部分に飛び、天体の観測を行うのが仕事だ。要は太陽系の外部からやってくる小天体を監視、観測するための船だ。滅多にないそんな現象のために常時宇宙船を飛ばしておくのは無駄じゃないのか――と、現に乗っている俺達ですら思うが、これは前世紀の最後に地球の大気圏をかすめていった小惑星がよっぽど根強い恐怖感を俺達のじーちゃんばーちゃんたちに与えたかららしい。たいていの船の乗員は、1年以上の長い期間、何等面白いことには出会わず、クルー以外の誰にも会わずに過ごす。今回は幸いにも、小惑星が一つ、軌道面を串刺しにする形で通り抜けるということが起った。命名規則では、こいつみたいに軌道面を通過して、二度と太陽系に帰ってこない小惑星には、過去の物理学者の名前がつくことになっている。<アンペール><ド・ブロイ><クーロン>と、アルファベット順につけられてきたので、この小惑星の名前は<ディラック>ということになった。
その<ディラック>が、妙に強いγ線を出しているようだ――というデータを送ったのが一週間前。その結果として俺達が与えられた命令というのが、その小惑星<ディラック>を船に装備してあるミサイルで撃て、というものだった。打つ方向がずいぶん細かく指示してあるうえ、かなりの爆発が起るから注意しろ、の、爆発後、軌道が変化する筈だからその変化をきっちり観測しろ、だのとの命令がついている。
しかし、俺達の船に乗っているミサイルは、核ミサイルですらない。これを指示通りに、遠く離れた位置からぶっぱなしたとしても、船は全然危険じゃない。それなのに、軌道が変化する・・とまで書いている。γ線を出している天体なんだから、言われなくってもそばに寄りたくはないが、それにしても妙だ。だいたい、なぜそんなことをしなくてはいけないのか、この命令だけではさっぱりわからない。
もう一つ気にいらないのは、この命令を実行するためには、船に残された推進剤のほとんどを消費しなくてはいけない、ということだ。誰かが俺達を拾いに来てくれない限り、俺達は帰れない。こんなに急がなくてはいけないような原因が、いったいあの小惑星のどこにあるというんだろう??
しばらくして、地球からの指令がまた届いた。今度は映像でだった。
「おや、奥さんとの御対面だね」
ロッシが言った。
「しっ。関係ないことはいいから、話を聞こう」
画像の中で、地球にいる観測班の女性――つまり、実は喧嘩中の俺の女房ってのがこれなんだが――が説明を開始した。
女房の方も、余計なことは言わない。まぁ、喧嘩中は必要なこと以外は口もきかない、ってのは俺達夫婦では普通のことだ。
「まず謝罪します。ごめんなさい。あなたたちに詳しい情報を送るという当然の行為が、現場のことをわかってない上の人間から止められてしまったの。ことは非常に重大だから、と言うんだけど…重大だからこそ、現場の人間に詳細を教えずに作戦が成功する筈がない、と彼らを説得するのにずいぶん時間がかかってしまって…」
ずいぶん大層な話になっているんだな。あのちっぽけな、γ線を出していることだけがまぁ珍しいといえば珍しい小惑星が、いったいなんだって“上の人間”から箝口令が出るような問題になっちまったんだ?
俺はそんなふうに思いながら、画像の中の女性――女房――の言葉を聞いていた。
「あなたたちの送ってくれたデータ、あのγ線スペクトルを分析してみたら、あきらかに電子・陽電子やπオン、μオンの崩壊と考えられるピークが見られたの。こういうピークが得られるのはただ一つ、反物質との対消滅よ。それも、大量の反物質に少量の正物質が衝突している、と考えた方がデータにより即しているの」
彼女はそこで言葉を切った。その言葉の意味が俺達の脳味噌に浸透する時間をとったんだろう。
「大量の反物質――?」
ロッシがひゅー、と口笛を鳴らした。
反物質――通常の物質と出会うと、その静止質量のほとんどをγ線などの形でエネルギーとして放出してしまう、対消滅反応を起す物質だ。持っている静止質量の100%をエネルギーとして解放できるので、エネルギー源としては理想的だと言われている。
「なんてこった。あの小惑星は全部反物質でできているのか」
俺がそう言いおわると、彼女がまた、しゃべり始めた。こっちの反応を見ていたわけでもないのに、タイミングぴったりだ。
「全部反物質でできた小惑星の名前が<ディラック>なのは出来すぎね」
ディラックは確か、最初に反物質を理論的に予言した物理学者だ。確かに、できすぎている。
「わかるわね?――この小惑星を捕獲できれば、太陽系のエネルギー問題は完全に解決ってわけ。それだけに、この事実は隠さなくてはいけない、という判断を“上”が下したのも無理からぬところではあるの。送ったデータ通りに<ディラック>にミサイルをあてることができれば、<ディラック>の軌道をほんの少し、太陽系面の方に指向できる。さらに4隻の船が大急ぎでそっちへ
向かっているわ。あなたたちの船と力をあわせれば、なんとか太陽に捕獲される軌道にまで誘導できる筈なの。推進剤は使い果たすでしょうけど、心配しないで。ちゃんと、迎えの船も準備しているから。詳しいデータはもうしばらくしたら送るわ。それまでとにかくさっき送った軌道に遷移する努力を続けて」
「よっしゃぁ。こりゃ大仕事だ。やってやるぜ」
ロッシは歓声をあげた。それから、俺が浮かぬ顔をしているのを見て言った。
「どうした?」
「危険すぎる。反物質の塊にミサイルを打ち込めば、対消滅が起るんだから、水爆どころじゃない大爆発だ。それなのに、どれくらいの爆発が起きて、どの程度のγ線が出てくるか、今の通信の中にそういうデータは全くなかったぞ」
「ああ、なかった。しかし、反物質の塊が手に入るとなれば、少々の危険は犯さなくちゃな」
俺はちょっとあきれた。
「おいおい、その“少々の危険”はどっかの誰かが犯すんじゃない。他でもない俺達が犯すんだぞ」
「わかっているさ。でもこれはそれだけの価値のあることだ。俺は自分がその場所にいられることをラッキーだと思うね」
「のーてんきだな、おまえは」
俺はそう言ってから、考え込んだ。
「ま、どっちにしろできることをやるしかないか」
そうこうしているうちに、また地球から軌道要素と、正確な攻撃場所、そして攻撃後の退避方法などを知らせてきた。
「<ディラック>の表面の状態がわからない以上、シミュレーションにも限界があるの。でもこの位置から、ここにミサイルを打ち込むのが一番効果が期待でき、かつ安全を保証できるわ。着弾の時には小惑星の反対側にいること、これはあなたたちの安全のために最重要だから、注意して下さい」
地球からの映像が、軌道と攻撃方法を示す図面に変わる。同時に船載コンピューターにはデータがダウンロードされた。
そして画面に再び、女房の姿が現れた。
「準備不足な状態で危ない任務にあなたがたを送り出していることを、ほんとに申し訳なく思います。よろしく頼みます」
女房がそう頭を下げる。そして、ちょっとそばにいるらしい誰かの方を向いた。何かの許可を求めていたんだろう。その許可が得られたらしく、女房は感謝したように頷いた。そして、今度は俺の女房としての顔になって、言った。
「以後は私信です――あなた。あなたにはいろいろ言いたいことがあるわ。それが言えないままに終るのは、とってもしゃくなの。だから――だから、無事に帰ってきてね。待っているから」
そして通信が終った。
「妬けるねぇ」
ロッシが冗談めかして言う。
「何言ってやがる。相変わらず、かわいくない女だよ。まだ向こうから謝ろうと思ってないみたいだ」
ロッシが言った。
「俺に言わせれば、だな。『無事に帰ってきてね』と言ってもらえるだけで充分だと思うけどね」
「うるさい。それより、仕事だ仕事」
仕事と言っても、データは全部向こうからもらっているので、それほど忙しいことにはならない。むしろ俺達は、反物質でできているという<ディラック>を観察することに懸命だった。星間物質がたまに衝突するのだろう、じーーっと見ていると、小惑星の上に時々、ぴか、と青い光が見えた。
「見ていると、とても反物質でできているとは思えんな。確かになんか光っているのはわかるし、γ線も激しく出ているんだが…」
その時、ロッシの目がまん丸になっていることに、俺は気づいた。
「どうしたんだ、いったい?」
ロッシはまん丸な目をしたまま、小惑星表面の拡大画像を映したディスプレイを指差した。
「見えるか、あれ」
ロッシが指差す方を俺も見た。
なるほど。これは確かに、目を丸くするだけの価値がある。
そして決断した。
「ミサイル発射は中止だ。地球にもそう連絡しよう」
ロッシがいいのか、と言いたげにこっちを見る。
「命令違反だぞ」
「命令違反でも、中止は中止だ。あれが撃てるか?」
俺は画面に写った、小惑星表面を指差した――そこには、規則正しい幾何学的模様が描かれていた。まるでビルディングが並んでいるようだ。見間違いや、光のいたずらでは決してない。信じられない…全く信じられないことではあったが、間違いなく、それは知的生命の作った都市だった。
いったい、どうしてこんなところに知的生命が発生し得るんだろう?
俺達の帰還後に、いろんな予想がされた。俺自身が気に入っているのは、彼らは俺達が
観測したγ線(対消滅で出る奴だ)を言わば太陽の光のようなエネルギー源にしているんじゃないか、という説だ。俺達の観測した都市は、ほとんどの部分が地下に埋まっているように見えた。上層部で起きた対消滅のエネルギーで発生する熱を使って彼らは生きているのだろう。彼らの世界の植物は、
γ線で光合成できるのかもしれない。
どこかに全部反物質でできた恒星系があり、そこの恒星からはぐれ出た惑星なんじゃないかという説もある。不安定な供給しか得られそうに無いγ線をエネルギーにした生物が進化するのは難しいだろう、というのがこの説をとっている人間の言うことだ。
だが、俺達にはそういう理屈はどうでもよかった。ただ、恒星間を渡ってきた小惑星の上に都市があり、知的生命が住んでいるらしいこと、そのことに驚嘆し、感動していた。
その時、俺達はミサイルを撃つべきだった、という奴も中にはいる。そうすれば、太陽系のエネルギーはこの先何千年も安泰だった筈だ、と。
だが俺達はその時、そんなことを考えもしなかった。彼らは紛れもなく、恒星間の暗い空間の中を旅してきた、宇宙の仲間だったんだから。
反物質によるエネルギーがなんだ。この宇宙に人類以外の仲間がいる、と知ることから得られる感動に替えられるものなど、ない。
俺はもう一度、ロッシに言った。
「宇宙船乗りとして、だ。あれを攻撃する気になるか?」
「確かにな。俺達は戦争をしにきたわけじゃない」
ロッシは頷き、言った。
「じゃあ、どうしよう?」
俺は少し考えてから言った。
「挨拶でもするとしよう」
「どうやって?」
「全波長域の電波で――ついでにX線も使うか。γ線の下で生きている連中だしな」
「言葉通じないぜ」
「いいんだよ。とにかく挨拶してやろう。長い長い旅の客なんだから」
「なんて?」
「どうせ通じないけど、そうだな、『いい航宙を』とでも」
そんな通信をした後、俺達は地球に攻撃をやめることを報告した。地球からの返事が返ってこないうちに、俺達は小惑星から離れることになった。まだ俺達の報告が地球に届いていないのだから当然だ。
帰り際だったろうか。都市から、規則的なX線が放射された。それは、俺達が送った『いい航宙を』と同じ意味の言葉だったに違いない。
そのX線を受けた後だった。名残惜しそうに<ディラック>の表面を見ていたロッシが、都市の隅の方にある構造物を指差した。
「見ろよ、あれ。神に感謝だな」
その構造物の目的はあきらかだった。航路上の障害物の排除――つまり、その構造物はミサイルだったのだ。もちろん、反物質でできた。
もし発射されていたら、間違いなく障害物――俺達の船は排除されていただろう。迎撃しても、至近距離での対消滅のγ線にさらされるだけのことだ。
なぜ彼らが俺達を撃たなかったのか、俺にはわからない。あの『いい航宙を』という通信で、俺達に悪意がないことがわかったんだろうか。それとも、俺があの時感じた、宇宙を旅するものの連帯感を、彼らも感じたんだろうか。
「挨拶しておいたおかげかな。やっぱり、言葉ってのは大事だよな」
ロッシがにやにやしながらこっちを見た。
「わかったわかった。女房には謝るよ」
俺はロッシに答えながら、小さくなっていく<ディラック>と、その上の都市に向かって、心の中でつぶやいた。
いい航宙を。宇宙の友よ。
<Fin>