もしかしたら、世界で一番有名な式かもしれない、E=mc^2。この項では、
という疑問について説明していこうと思う。ただしこのファイルは「電磁気編」なので、考えるエネルギーは電磁的なエネルギーだけである。もっと具体的に例をあげて書くならば、
と言う問題である。2H_2Oと2H_2+O_2の差は通常化学的エネルギーと呼ばれるが、その中身を見てみれば結局は電子と原子核の間の電磁気的エネルギーの大小であるから、電磁的なエネルギーを考えていると思ってよいのである。
この問いに対して
などと考えている人がいたら、是非以下を読みながら考え直していただきたい。
水素原子で考えるのはたいへんなので、電荷をためているコンデンサーとたまってないコンデンサーで考えよう。実はこの二つも質量が違う(前者の方が重い)。そこでそもそも「質量」って何?ということを考えてみる。ニュートンの運動方程式F=maからわかるように、同じ力で押しても、質量が大きければ大きいほど、加速度が小さくなる。つまり、質量とは「動かしにくさ」の指標である。つまり、「電荷のたまったコンデンサーとたまってないコンデンサーでは、電荷のたまっているコンデンサーの方が動かしにくい」のである。これは相対論がどうのこうのなんて言わなくても電磁気の知識だけから出てくる話なのである。
なぜ動かしにくいのかを、まずは極板間の電場がどうなるかを考えて説明しよう。極板が動くと、当然その間にある電場も動く。
ということは、極板の進行方向前方では、さっきまで電場がなかった場所に電場が現れたことになる。
ところで電磁気にはマックウェル方程式で言うと
rot H = ∂D/∂t
rot E = - ∂B/∂t
で表される法則(注:上の式では電流は0とおいた)がある。これを言葉で表すと
「電場が変化すると、その電場に対して右ネジの方向に磁場が発生する」
「磁場が変化すると、その磁場に対して左ネジの方向に電場が発生する」
となる。ちなみによく知られている(と思う)レンツの法則
「磁場が変化すると、その磁場の変化を打ち消すような磁場を作る電流を流そうとする電場が発生する」
は、以上二つの組み合わせからできる法則である。
話を極板の進行方向前方に戻す。電場がなかった場所に電場が現れた、ということは電場が変化したのだから、それにたいして右ネジの方向に磁場が発生する。
さっきまでなかった磁場が発生したので、その磁場に対して左ネジの方向に電場が発生する。
実際にそこに存在する電場は、元からある電場に今導かれた電場を足したものである。
結果として、電場は「ここに移動しているだろう」と思われた位置より少し後ろに下がった位置にいることになる。この後ろ髪ならぬ「後ろ電気力線」に引かれて、極板には加速方向と逆向きの力がかかる(上には+電気が、下には−電気がいることに注意)、その分だけ、「動かしにくくなる」。
次に、なぜ動かしにくいのかを、運動量の収支から説明しよう。今、上の極板に+、下の極板に‐のたまったコンデンサーを東に動かしたとする。すると、たまった電荷も移動するのだから、一種の電流が流れていることになる。電流が流れればそこには磁場が生まれる。上の極板は東向き電流、下の極板は西向き電流が流れているのだから、極板の間には北向きの磁場ができる。もちろん、極板の間には下向きの電場がある(止まっている時からあった)。直交する電場と磁場があると、双方に直角な方向に運動量がある(ポインティングベクトルというやつ)。というわけで、この電場と磁場は東向の運動量を持っている(電磁波が進行しているときの電場、磁場、進行方向の関係)。
つまり、電荷のたまったコンデンサーが動くときの運動量は極板の運動量と(主に極板間に存在している)電磁場の運動量の和になり、電荷のたまってないコンデンサーの運動量より大きい。止まっている時は磁場はないので運動量も0(あたりまえですが)。大きな運動量を持たせるには当然大きな力が必要、というわけで電荷のたまったコンデンサーの方が動かしにくい。
この差を計算すると、ちょうど質量が電磁場のエネルギー÷c^2だけ大きくなったと思えば良いだけの差になる。
以上の話には、相対性原理だとか、光速度不変うんぬんの話だとか一切出てこない。つまり相対論的見地抜きで、E=Mc^2が出てくる話になっている。だから、「アインシュタインが唱えたE=Mc^2は、そんな単純な話じゃないんじゃないのか???」という疑問がわくかもしれない。上の話だと、質量が増えているなどという高尚(?)な話じゃなく、ただ単に電場というひっかかりがあるから動かしにくくなっただけに思えるだろう。でも元の問題を思い出して、コンデンサーじゃなく水素分子の中にある電場や磁場も同じような現象を起こすであろう、と思ってほしい。目に見えるコンデンサーならば、われわれは「あ、極板が後ろ電気力線に引かれているな」とイメージすることもできる。しかし、水素分子が動いている時に「お、水素分子の中の電子の電気力線がゆがんでおるゆがんでおる」などとイメージすることはない。むしろ、水素原子全体の運動だけを感知する。そういう立場に立てば、「動かしにくくなった」と思うのではなく、「質量が大きく(あるいは小さく)なったなぁ」としか観測できないのである。
念のために書いておくが、水素と酸素が水になった程度では、もちろん質量差は無視できる程度に小さい。
そもそもアインシュタインはすでにできあがっていた電磁気学を尊重して(力学と電磁気が矛盾しているからと力学の方を変更して)相対論を作ったのだから、電磁気的計算から質量が増大することがわかるのは実は不思議でもなんでもない当然のことなのである。
実際、アインシュタインが特殊相対論を出すより前に、ポアンカレが電磁場の「質量にあたるもの」Mが電磁場のエネルギーEと
E=Mc^2
の関係にある(さらに、これは速度とともに増加する)という答えを出していたというのは有名な話である。つまり、歴史は、
というふうに流れたのである。
で、こう考えるならば、化学的エネルギーも所詮は分子の電磁気的エネルギーなんであって、ということは分子のまわりにある電磁場のエネルギーなんだから、それに差があれば質量(動かしにくさ)に差があるのも当然、ということになる。
(以下は読者の頭を混乱させることになるかもしれない蛇足)
観測される電子の質量は「芯の質量」+「まわりの電荷の質量」と考えられるが、電子を点だとして、点電荷のまわりにある電磁場の質量を計算すると無限大になってしまう。観測される質量を有限にするには芯の質量をマイナス無限大にしなくてはいけない。蛇足に蛇足を重ねると、芯の質量ってのも、しょせんはヒッグス粒子との相互作用から来たものなのだが。