相対論におけるいわゆる「双子のパラドックス」に関してはいろんな本、あるいはいろんなWebページで書かれている。そういう意味ではわざわざうちのページに解説を一個追加する必要もないと言えばないのだが、双子のパラドックスの一つのバリエーションとして面白い質問が来たのでそれに答えてみよう。
まず双子のパラドックスの何が「パラドックス」なのかを復習しよう。問題の設定はこんなものだ。
双子の兄が亜光速のロケットに乗って地球から離れ、再び地球に帰ってくる。弟の方はずっと地球にいる。相対論的効果により、兄の時間が縮み、結果として帰ってきた時は兄の方が肉体年齢が若く、弟の方が年をとっている。
これは日本では「ウラシマ効果」という名前で呼ばれる有名な相対論的効果で、物体が運動していると時間が遅れる、という現象のゆえ、兄の時間経過が弟に比べて遅く、ゆえに兄弟の年齢に差が出る。
ここで「運動は相対的なはず」と考えると、
「兄からすれば地球と弟(および宇宙全体)が自分から離れ、自分のところに戻ってきたように思えるはず。それなのに弟の方が年をとっているというのはおかしいのでは?」
という疑問が出てくる。これが双子のパラドックスである。兄から見ると、弟(および地球、およびおそらくは宇宙のほぼ全ての物体)が自分から遠ざかり、そして自分の元に戻ってきたように思えるだろう。それを図に描くとこうなる。
この2枚の絵だけを見ていると、確かに兄と弟の運動は対称に見える。だから、兄だけ余分に年を取るのが不公平に思えるわけだ。しかし、実は兄と弟の立場は対等ではない。不平等がでてくるもっとも重要なポイントは、兄が方向転換をする時、加速をしている、ということである。
余談ながら。「双子のパラドックスは加速が関係する話だから、一般相対論を使わないと解けない」という考え方がある。これは一面正しいが、以下に続くように、別に一般相対論を使わなくても、不平等性を説明することは可能である。一般相対論が必要なのは、このパラドックスに対して、もう一段階、深〜〜い質問が発せられた時である。
方向転換(加速)をするとなぜ不平等になるのか。それを理解するためには、相対論における「同時の相対性」ということを理解する必要がある。
この「同時の相対性」はウラシマ効果やローレンツ収縮同様に重要な事実なのに、説明のしにくさからか一般向け解説書では扱いが少ないようだ。相対論の重要な(実験に裏打ちされた)重要な原理が「光速度不変の原理」である。これは、「誰が見ても光速度は同じに見える」ということを意味している。実はこれはものすご〜いことなのである。図の左を見て欲しい。この図の縦軸は時間であり、横軸は空間である。点Pと点Qは真ん中(黒い線)から等距離にある。点Pと点Qで同時に光を出したとする。当然、真ん中の黒い線には同時に光が到達する(左の図を見ればそれは自明だ)。
この一連の現象を、点P、点Q、および真ん中の人に対して動いている人が見たらどうなるか。一般常識的に考えると、やはり「光はPとQを同時に出発し、同時に真ん中に到達する」と思いたい。ところが、その間に「真ん中の人」(図の黒い線)が動くことを考えると、こうなるためには図の青い光は通常より速く、図の赤い光は通常より遅くなっていなくてはいけない。ところが、それが実験事実に反するわけである。だから、この真ん中の人が「同時」と感じる図のPとQは、外から見ている人にとっては「同時」ではない。
結局、動いている人にとっての同時刻線(空間軸)は止まっている人に対して傾くことになる。この傾きこそが双子のパラドックスの肝である。
ここで双子のパラドックスの前に、もっと根元的な疑問に答えよう。その疑問とは
ということである。この疑問は、「時間が遅れる」ということを図のように解釈することで解消する。
まず左の図を見て欲しい。黒で書いた座標軸は、「止まっている人」にとっての時間軸と空間軸である。「動いている人」の座標軸は青で書いてある。「動いている人」と「止まっている人」の座標原点(X=0の点)は、図のOにおいては一致しているが、「動いている人」の座標原点はどんどんずれていく(だって「動いている人」なんだから)。つまり、時間軸が傾く。そして、空間軸の方も一緒に傾く。
図の上ではOAの方がOCより長く見えるが、これは4次元時空のマジックなので気にしてはいけない。実際の4次元的距離は、OAの方がOCより短い。
さて、「止まっている人」(つまり黒い座標軸)を使っている人はこう主張する。
「止まっている人」にとっての同時は図の水平線(黒の点線)なのだからこうなる。ところが、「動いている人」にとっての同時は斜めの線(青の点線)なのだから、
と彼は主張するのである。右の図は「動いている人」の主観を尊重した図で書いている。この場合、止まっている人の座標系が斜めになっている。「同時刻」の定義が二人で異なっているために「互いに互いの時間を遅く感じる」という一見矛盾した現象が起きているのである。
と、ここまでの話がよくわかっていれば、双子のパラドックスはもはやパラドックスでもなんでもないことがわかる。
兄は宇宙のどこかに行って、帰ってくる。行きと帰りでは運動の方向が逆だから「行きの兄の座標系」と「帰りの兄の座標系」は違う座標系になっている。それを書いたのが左の図である。この図で「行きの兄の座標系」を青で、「帰りの兄の座標系」を赤で書いている。
「互いに互いの時間を遅く感じる」というのが相対論の主張なのに、この場合は弟は兄の時間を遅く感じるが、兄は弟の時間を長く感じる。その矛盾はどのように解消されるか。
「行きの兄」にとっての同時刻を考えると、Pとqが同時刻である。ところが「帰りの兄」にとってはPとQが同時刻になる。つまり、兄は「行き」から「帰り」に変わった瞬間に弟の時間がqからQへとジャンプすることになる。これは「行きの座標系」から「帰りの座標系」への乗り換えが行われるからである。そしてこの座標系の乗り換えをしなくてはいけないのは兄だけであり、それゆえ兄だけが「弟の時間がジャンプする!」という現象を経験(眼に見えるわけではない)する。ここに兄と弟の不平等が出てくる。
ここでもう一度強調しておこう。双子のパラドックスの説明としてよく「兄と弟の立場の違いは加速を経験するか否かにある」と言われる。しかし今説明したように、より細かく見るならば、
「加速を経験する」→「ゆえに座標系の乗り換えが必要になる」→「ゆえに兄と弟の時間は一致しない」
という段階を踏んで、加速のあるなしが時間の不一致を生んでいることになる。
さっき書いた、「答えるためには一般相対論が必要になる、双子のパラドックスに対するもう一段階、深〜〜い質問」をここで述べておく。相対論的な考え方に従えば「物事は相対的」なのだから、「兄が加速したんじゃなく弟が加速したんだ!」というふうに「相対的」な考え方をしてもよさそうである。よって「兄がずーーっと静止していると考えることはできないのか?」という疑問が沸いてくる。この場合は兄と弟は対等になるかというと、そうはいかない。兄は途中、慣性力を感じる時間がある。一般相対論によればこの慣性力は重力と同じもので、つまり兄の静止している空間は曲がった空間であるということになる。兄は自分が静止していると考えたとしても「力を感じる」という物理現象によって、弟との不平等を強制されてしまうのである。この場合、兄が「重力を感じるから空間が曲がっている」と認識するためには一般相対論が必要になる。つまり「何がなんでも兄は止まっているとして問題を解きたいのだ!」という強い欲求がある時、初めて一般相対論が登場する必要がある。
さて、これでやっと双子のパラドックスについての復習が終わったので、やっとタイトルにあげた問題に戻ることができる。問題とは、こういうものである。
「兄が宇宙をずーーーっとまっすぐ進んで戻ってきたとする。この場合、加速を感じる時間は一度もないが、この場合はどっちが年を取るのか? また、もし一方が年を取るのだとすると、どちらも加速してないのにそういう非対称性が生まれる理由は何か?」
ということである。つまりこの問題の設定では、宇宙は閉じていて、どこまでもどこまでもどこまでもまっすぐに進んでいったとしたら元にもどってくると考えるのである。この場合、兄は一切加速していないのだから兄と弟の間の不平等はない、と思える。それなのに、この場合でも兄の方が年を取らない(正確に言うと、絶対そうとは限らない。そのことは最後で述べる)。
ここまでの話の流れでだいたい予想がつくと思うが、ここで大事なことは、普通の双子のパラドックスでも、パラドックスが発生する直接の原因は、
「加速があるから」
ではなく、
「座標系の乗り換えがあるから」
ということだったのである。
ではこの場合、なぜ「座標系の乗り換え」が発生するのか。図をよく見ていただきたい。図には赤の破線で、「兄の移動」が二つ書いてある。「離れていく兄の移動」と「戻ってくる兄の移動」である。別に兄が二人になったわけではない。と言われても納得できない方は、この図を紙に印刷して、くるりと紙を丸め、A点とB点が重なるように円筒状に貼り付けて欲しい。今宇宙が「一周したら戻ってくる」という条件を満たしている場合を考えているのだから、円筒状にして考えるのが一番わかりやすいはずである。その場合、上の「円筒宇宙の開き」の図では2本に見える兄の移動経路は一本になる。
この図で青で書かれた「離れていく兄」にとっての同時刻線をするすると伸ばしていくと、宇宙を一周してもどってきた時、時間軸方向にずれを生じる。この「時間のジャンプ」が普通の双子のパラドックスの時の時間のジャンプと同じ役割をして、やっぱり兄の方が若く、弟の方が年を取るという結果が出てくる。
結局こうなる理由は、兄にとっての同時刻線(青であれ紫であれ)は宇宙を一周すると時間にずれが起こるような「宇宙に対して斜めになっている」線であったためだ、ということになる。別の言い方をすれば、弟の座標系は宇宙全体で使えるようなものだったのに、兄の座標系は途中で乗り換えが必要になるような座標系だったからだ、ということになる。
【混乱させることになるかもしれない余談】
ところで、上の話では弟にとっての同時刻線が宇宙を一周すると元の時刻に戻ってくる、ということを暗黙に仮定した。しかし、実際弟が地球上に静止していたとして、彼にとっての同時刻線が宇宙をちゃんと一周するという保証はどこにもない。地球、あるいは太陽、あるいはさらに大きく銀河系は宇宙全体に対して運動しているのだから。さらに、たとえ運動してなかったとしても、宇宙の同時刻線が一周したときにどうなるかは、実際に行って確かめないことにはわからない。自分の方が若くなりたい、と思って宇宙一周してきたら、実は宇宙の境界条件が変になっていたため、地球に残っていた方が若かった、ということだってありえるのである。そういうわけで宇宙を一周する時はよく考えてからやったほうがいい。
【さらに混乱させることになるかもしれない余談】
以上のような説明を読むと「じゃあ、一周すると元に戻るような宇宙では、特殊相対論は成立しないのではないか?」と不安になる人がいるかもしれない。結論を書いておくと、そういう宇宙の場合、宇宙全体に対して特殊相対論が成立している(別の言い方をするとローレンツ不変になっている)ことはありえない。そもそも「一周して戻ってくる」と考えた時点で、「一周した時に同時刻線がずれない座標系」はその宇宙にとって特別な座標系になってしまい、「どんな座標系も同等である」という特殊相対性原理は崩れてしまう。
ではそうなった場合、特殊相対論は信用できなくなるのか、というとそうでもない。全宇宙なんてことを考えず、御近所のローカルな話をしている分にはまだまだ使える(少なくとも現在の実験の範囲内においてだが)からである。もともと特殊相対論のよりどころになっている光速度不変にせよマックスウェル方程式の共変性にせよ、御近所での(ローカルな)物理現象の観測から得られたものであるということを忘れてはいけない。実験的に確認されている特殊相対性原理はそもそもローカルな物理法則に対してなのである。だから御近所の話をしている間、特殊相対論を使うことを躊躇する必要はない。たとえ宇宙が周期的であったとしても。