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第1章 量子力学の「あらすじ」---光の粒子性を中心に

 

この章では、これから「初等量子力学」および「量子力学」で学ぶ量子力学のあらましをつかんでもらうために、まず光の粒子性ということについて概観 を述べる。詳細な計算などは後で述べるが、まずは量子力学とはどのような学問なのかの「あらすじ」を知ってもらいたい。

1.1 光の粒子性はどこにあらわれるか

19世紀の終わり頃、「物理はもうすぐ終わる」と言われていた。力学、電磁気学がほぼ完成し、天体の運動がニュートン力学で完全に予言されるように なった。ところが次の年から20世紀だという1900年、プランクは黒体輻射に関する研究から「光のエネルギーは不連続な値を取る」という仮説を発表した (このプランクの主張までは、光に限らずエネルギーというのはいかなる値でも取ることができると思われていた)。これが量子力学の始まりである。量子力学 と直接関係はないが、20世紀の始まりには特殊相対性理論勘違いしている人が多いが、相対論は古典力学である。物理の世界 で「古典力学」と言ったら「量子力学ではない」という意味。も作られている。量子力学と相対論が、「終わる」はずだった物理の世界を一変さ せてしまったのである。

エネルギーが不連続だという意味がそもそも理解できないんですけど。
コップの水を考えましょう。コップの水は連続的で、切っても切ってもいくらでも小さくなるように見える。けど、実際 には水はH2O分子でできているんだから、切っていってH2O一個になったら、もう切れない。同じように、 光を切っていくようなことをしたとしても、切れない単位がある、ということです。たとえば向こうから光がやってくる時に、一瞬だけシャッターあけてすぐ閉 めるとか。そういうことするとシャッター速度を短くすればいくらでも小さいエネルギーの光を切り取れそうだけど、そうはいかない。hνの整数倍というエネ ルギーの光しか作れないんです。

光は波であるか粒子であるか、というのはニュートンやホイヘンスの時代(17世紀後半)でも論争になった謎であったが、波と考えるのが妥当であろ う、というのが20世紀初頭までの考え方だった。そのように考えられた理由は光が干渉現象を起こすことである。また、マックスウェルが電磁気学の方程式か ら光速で進む波動解(電磁波)を見つけたことも光が波であることを支持していた。プランクの主張プランクがどのような根拠 を持ってこの主張を行ったか、およびそれがどのように正当化されるかについては次の章で述べる。によれば、振動数νを持った光のエネルギー は、hνの整数倍に制限される(hはプランク定数で、値は6.6×10^(-34)J・sec)。

プランクはいったいどうやって光のエネルギーがhνだってわかったんですか?/黒体輻射って何ですか?
くわしい話は来週ですが、溶鉱炉の中の鉄を熱した時の色の研究からです。鉄を熱するとまず赤くなり、それから白く なっていくんだけど、このような色の変化を理論的にもとめることができなくて、実験に合わせるためには光のエネルギーが不連続である必要があったのです。

プランクって、溶鉱炉に行って測定したんですか?
いえ、測定したのは別の人。というか、当時この話が問題になっていて、他の学者もいろいろ考えていたんだけど、実験 にあう式を出せたのがプランクだった、ということです。プランクがいたドイツは鉄鋼業がさかんだから、こういう話は大事だったのかな。

その、6.6×10^(-34)という数値は、光の粒一つのエネルギーを測定した 結果なんですか?
最初にプランクが出した時は直接測定したわけじゃありません。上に書いた黒体輻射の研究で、温度と色の関係を再現す るためには光のエネルギーはこうでなくてはならない、というふうに間接的に導いてます。後でちゃんと光子一個のエネルギーも測れるようになりましたが。

プランク以外にもいろんな研究により、光は一個あたり(プランク定数)×(振動数)というエネルギーを持った粒子(「光子」と名付ける)でできてい るとわかった。プランク定数は非常に小さいゆえに、通常我々が目にする光は、たくさんの光子の集まりでできている。

粒だ粒だと言いながら、hνという式に振動数νが入っているのは変じゃないですか。
いいところをついてきますな(^_^;)。確かに変なんです。もう少し後でも話すけど、この時点で、世界の物理学者 は「粒子性と波動性をあわせもっている」と考えてました。実験装置というか、状況に応じて波のように見えたり、粒子のように見えたりするんです。

【問い1】100Wの電球が波長5×10^(-7)mの光を出しているとすると、この電球が1秒に出している光のエネルギーはhνを単 位として何個分と考えられるか。光速は3×10^8m/sである。
また、この電球の1メートル向こうで断面積0.5cm^2の瞳でこの光を見たとすると、瞳に飛込む光子は1秒に何個か。

実は光の粒子性は特殊な現象を見なくても、日常生活にも現れる。たとえば夏に太陽の光を浴びると日焼けするが、冬に電気ストーブにあたっても日焼け することはない。得られるエネルギーは同程度であっても、紫外線と赤外線では質が違う。古典的に見るとそれは振動数の違いであり、「紫外線の方が振動数が 大きい(振動が速い)から、人間の体に化学変化を起こさせるのだ」という考えもできないではない。しかし、光を光子の集まりとして考えると、赤外線(振動 数が小さい)は一個一個のエネルギーが低い光子でできており、紫外線は一個一個のエネルギーが高い光子でできていると考えられる。人間の体に化学変化を起 こさせるのは、この光子一個一個の衝突だと考えるとこの現象が理解できる。 念のために書いておくと、紫外線によって起こった化学変化が日焼けそのものではない。人間の体が紫外線によって起こされた化学変化に反応した結果が日焼け である。肌が黒くなるのは、人間の体の持っている防衛機構である。

連続的だと日焼けしないってのはどういう理屈ですか?
連続的だと日焼けしない、、ってわけじゃなくて。同じエネルギーの赤外線と紫外線を比較した時、紫外線だけが危険な 理由は、光が連続的だとするとよくわからない、ということです。結局一個の分子にあたる光は一粒なので、「分子が壊れるかどうか」という点では、一粒あた りのエネルギーが重要になってくると考えると、一粒あたりのエネルギーが大きい紫外線の方が危険だ、と言えるわけです。

一個の光子が2回以上ぶつかったりしないんですか?
紫外線や赤外線程度の話だと、たいてい一発めにあたった分子で吸収されてしまってそれで終わるかなぁ。ある程度は反 射したりもするだろうけど。

このあたりの説明のために、「紫外線はこういう、大きいエネルギーの球がどかんどかんとぶつかってき ていて、赤外線はこういうちっこい球がぱらぱらぶつかってくるんだよ」とでっかい○と小さい○を黒板に書いて説明してたら、
光の大きさって振動数に応じて大きくなるんですか?
という質問が来てしまった。うかつに図を描いてはいけませんな。「大きいエネルギーの球」であって、「大きい球」ではありません。考えてみ れば「球」という言葉を使うのもまずいのか。光子そのものの大きさは点です。

【問い2】紫外線(波長が5×10^(-8)m)と赤外線(波長が1×10^(-6)m) の一個の光子の持つエネルギーと、水素原子のイオン化エネルギー13.6eVを比較せよ。これは何を意味するか。(注:1eVは1.6×10^(-19)J)
 配ったプリントでは紫外線の波長を2×10^(-7)としてましたが、上のように訂正して おいてください。

例えば、夜空の星を見上げればすぐに星が見えるが、これも光が光子という塊で降ってくるおかげである。眼が見える(人間が光を感知できる)のは、眼 の中にある化学物質が光に反応して化学変化を起こすからである。しかし、光が連続的にやってきて、エネルギーがたまって始めて反応が起こるのだとすると、 長い時間がたたないと感知できないことになる。

【問い3】0等星の照度は2.5×10^(-6)ルクスである。1ルクスは1平方メートルあたり1/683ワッ トのエネルギー流に対応する。人間の瞳の広さを0.5cm^2として、瞳から入ってくるエネルギーを考え、そのエネルギーが眼の水 晶体(レンズ)によって視細胞一個(半径10^(-6)mの球とする)に集められたとする。光を波動と考えた場合、視細胞にある感 光物質(ロドプシン)の1 原子(半径10^(-10)m としよう)が化学反応するエネルギー(5×10^(-19)J としよう) を得るには何秒かかるか。

【問い4】「光が粒でやってきていて、連続的な波ではないから、星の光がまたたいて見えるのではないか?」と言った人がいる。これがほ んとうかどうか、つまり星のまたたきは光子の粒子性によるものかどうかを考察せよ。

1.2 二重スリットと波束の収縮

光が波でありながら粒子である、ということは非常に理解しがたいことであろう。しかし今は「あらすじ」の段階なので、これをどう理解すべきかという ことはとりあえず後に回す。ここではさらに別の例で光の粒子性がどのような現象を起こすのか、を見ていく。

ヤングの実験 そこで、光の波動性を表す実験として有名なヤングの実験を考えよう。ヤングの実験では点光源(実際の実験では単スリットで点光源化することが多い)から出 た光が、複スリットを通った後スクリーンにあたり、そこに干渉縞が生じる。

光は波だ、って言うけど、何の振動なんですか?何かわからないものが振動していると言われても実感 が。。。
光に関して言えば、振動しているものは電場と磁場。だから「何かわからないもの」が振動しているわけじゃないよ。後 で波動関数ってのが出てくるけど、そっちは確かに「何かわからないものが振動している」って感じに思えるかもしれない。

【問い5】図の二つの光の光路差を計算し、スクリーン上で暗くなる場所のx座標を求めよ。ただし、光の波長をλとし、Lはdおよびλに 比べて十分大きいとして近似せよ。必要ならば公式(1+x)^n〜 1+nx(x<<1の時)を使え。

二つのスリットからスクリーン上にやってきた電場をE_0 sin (k(r_1-ct))および E_0 sin(k(r_2-ct))としよう。電場の振幅E_0は定数ではなくr が大きくなるほど小さく なるはずであるが、ここでは簡単のために定数とおいた。スクリーン上にできる電場はこの二つの和なので、E_0(sin(k(r_1-ct))+sin(k(r_2-ct))) とおける。光を波と考えるならば、この電場の振幅の自乗が明るさに比例すると言える。この考え方ではもちろん、光はスクリーン全体に連続的に広がった存在 である。

 このあたりの計算の話、授業ではすっとばしてしまった。

二つのスリットから出る電場の和から、スクリーン上の電場のエネルギー密度1/2εE^2の一周期分での平均を計算せよ。
ヒントその1:sin A+sin B=2sin((A+B)/2)cos((A-B)/2)
ヒントその2:sinθ、cosθなどは一周期分積分したら0になる。sin^2θ=(1-cos2θ)/2となるが、cos2θ の部分もやはり、一周期分積分すると0である。

この実験を、「光は粒子でもある」という知見のもとに考え直すと、いろいろ不思議なことが出てくる。

ヤングの実験の粒子描像

上の図はこの実験の様子を、光が粒子であるという観点を強調して描いたものである。

粒子説にしたがえば、光がやってくるということは実際には光子がやってくるということである。つまり、ヤングの実験で発生する明暗の縞は、実は左の 図のように、光子の当たる場所と当たらない場所が発生しているということになる。

ここで光源の光量を絞って、一度に一個の光子しか来ないようにしたとしよう可視光であっても弱い光を使ってこの条件 を満たすことはできる。また、エックス線をつかってガイガー管などで計測すれば、一個の光子を測定することも可能である。この場合干渉は起 こるだろうか。「干渉」というのは普通、二つの波がぶつかっておきる。一度に一個の光子しか来ないなら、二つの光子はぶつかれないから干渉なんて起きない はず、と思いたいところだが、実際にはこれでも左図のような干渉は起きる。極端な場合として、光子一個だけを送り込むという実験ができたとする。するとこ の光子は、図の「明」のどこかにあたる。けっして「暗」の部分にはあたらない。

念のために注意しておく。この干渉によって光が消し合うという現象を「一個の光子と一個の光子がぶつかって消える」というイメージを持っている人が いたら、さっさとそのイメージを消去してもらいたい。そんなことが起こったらエネルギー(光子一個につきhν)が保存しなくなってしまう。あくまで、一個 ずつやってきた光子は一個ずつ到着する。ただ「暗」の場所には来ないのである。

以上の実験からわかることは、あたかも「一つの光子が二つのスリットを同時に通ってきた」と解釈できるような現象が起こっているということである。 つまりこのスクリーンにあたった一個の光子は「上のスリットを通ってきた光子」でも「下のスリットを通ってきた光子」でもなく、いわばその重ね合わせとし て存在しているのである。

たとえば上のスリットをふさいだとする。すると、光子は「暗」の場所にも当たるようになる。この場合、光子は確実に下のスリットを通ってきているは ずなのだが、「上のスリットが空いているのか空いていないのか」ということを知っているかのごとく、それに応じて挙動が変化することになる。

つまり、観測機器などの状況設定が変わると、光の粒子性が顕著になったり、波動性が顕著になったりする。ここでは詳しく述べないが、たとえばスリッ トの片側に光が通過するかどうかの測定器をつけたりすると、この干渉縞は消失してしまう。このように、「何を観測しようとするか」によって観測される側の 状態が変わってしまうというのが量子力学のややこしいところである(と書いたが、観測機器によって状態が乱されるということ自体は、古典力学的状況であっ ても同様である。量子力学では少々劇的になっているというだけのこと)。

その観測機器を置くと結果が変わるというのは、その観測機器が光を出しちゃうからですか?
そういう現象が起きちゃって結果が変わってしまう場合もありますが、光を出さないように観測しても、やっぱり結果に 差が出ます。くわしい話は後でやりますが、結局、舞台設定が違うと、同じ光なのに粒子的性質が前面に出てくる時と、波的性質が前面に出てくる時がある、と いうことなんです。ヤングの実験のスクリーンの場合、スクリーンにフィルムが置いてあるとすると、「フィルムの分子に光子があたって化学反応させる」とい うふうに光子とフィルムが反応します。こういう時には、「光子」という粒が反応したような現象が起きることになります。待ち受けているものに応じて態度を 変える、という感じの方が近いかもしれません。

スリットを通り抜けた波量子力学の世界では、こういう非常識なことが起きる。我々が普段こういう非 常識を経験しないのは、我々が見る光源はたいてい1秒に10^20個以上の光を出していて、光が粒子の集まりで あることを実感できないからである。

以下、1.3節までは時間の都合で説明を省いた。どうせこのあたりの話はもう一回ちゃんとしなくてはいけない ので、ここで省いても別によいかと思って。波束の収縮の話は話はじめると泥沼になるから、省いておいてちょうどよかったかもしれない。
 そういうわけでここから下の1.3までの間は授業中にしゃべっていないが、配布したプリントには入っているので、ここにも収録しておく。

 ここで起こったことをもう一度よく考えてみる。二つのスリットを通る時の電子は、両方を通るような波として広がっている。そして通り抜 けた後は、図で太い線で表したような、二つの波の干渉の結果としてできあがる波がスクリーンに到達する。ところが、スクリーンに到着する光子は一個であっ て、ある一カ所にしか光子は存在しなくなってしまう。

波束の収縮ここでスクリーンで起こっている現象を考えよう。スクリーンに当たる直前の光は、左図の上のような状態、つまり干渉を起こした 波の状態であったはずである。ところがスクリーンに当たると、粒子性が顔を出して一点のみに光子がぶつかる。広がっていたはずの波がいっきに一点に縮まっ てしまう、ということで、このような現象を「波束の収縮」と呼ぶ。収縮が起こるメカニズムについてはよくわかっていないが、そういうことが起こっていると 解釈しなければならないような現象が起こっていることは確かであるこの現象をどう解釈するかについては諸説があるが、ややこしくなるのでこ こでは触れない。。大事なことは、どこに収縮するのかを決める方法がないということである。残念ながら量子力学で計算できるのは確率だけなのである。後で くわしく学ぶが、量子力学の計算を正しく用いれば波の形が計算できる。波の振幅が大きくなっている部分(つまり「明」となる部分)に収縮する確率が大き く、振幅が小さい部分(「暗」部)に収縮する確率は小さいのである。

確率だけしか計算できない、ということについてはもちろん批判者も多く、量子力学は不完全であるとの主張がよくされてきた。その筆頭はアインシュタ インであって、「神はサイコロ遊びをしない」という言葉は有名である。アインシュタインは量子力学の計算の中には入っ てこないだけで、粒子がどこにいるかは最初から決まっているはずだ、という考え方をしていた。しかし、そのように「粒子がどこにいるか最初から決まってい る」という考え方と矛盾する実験結果がある。どうやら光子の位置を観測するまでは光子の位置は決まっていないと考えなくてはいけないらしい。

で、この授業の最後ではちょっとお説教および脅し。

1.3 これからの学習で注意すべきこと

この章では、量子力学の「あらすじ」を述べた。ボーアは

「量子力学に衝撃を受けないとしたら、それは量子力学を理解してない証拠だ」

という意味のことを言っている。だから、この「あらすじ」を聞いて「そうか、量子力学ってそういうものなのか」とわかったような気がしたとしたら、

それは錯覚である。

これからの1年間の講義の中で、量子力学に衝撃を受け、量子力学の不思議さを感じて欲しい。量子力学の不思議さはすなわち、我々の住んでいるこの世 界の不思議さである。

ここでしつこく強調しておいたこと。我々の常識というのはプランク定数があまりに小さくて、感知できないとい う状況の中で作られた、せま〜〜〜〜い世界の中の常識なのである。20世紀になって実験が進むことによって、やっとプランク定数の存在が見えてきた。だか らいかに量子力学が常識に反しようとも、「常識に反するからいやだ」という考え方で拒否するわけにはいかない。我々の日常生活という狭い経験の中では常識 に反しても、実験によって十分確認されていることだからである。これは相対論が「光の速度があまりに速い」という状況の中で作られたせま〜〜〜い世界の中 の常識に反していることに似ている。

また、今回は概要だけを述べたわけであるが、物理を学ぶ者は、

自分で手を動かして納得するまでは、何事も信じ込んではいけない。

ということを肝に命じておこう。先生の説明を聞いてわかったような気になっただけでは、実はまだまだ何もわかってない。(こ れはもちろん、前野の自戒が込められた言葉である。)まして概要をかいつまんで述べただけの講義を聞いて納得してはいけない。

次の章からしばらくは、歴史をたどりながら、この不思議な量子力学がどのように建設されていったかを学ぶ。

 

学生からのコメント・感想から

光は電場と磁場からできている、つまり波からできているのにどうして粒子の性質を持つのかやはり疑問に思 いました。粒子と言ったら形や大きさを想像してしまうので。
光の場合、粒子としての大きさは0ですから、形や大きさを想像してはいけませんね。

「原子物理学」のレポートで「光子の裁判」を読んだ。その時も四回ぐらい読んでやっと「あー、そーなの か」と思ったものだった。今日の話を聞いたら、またわかんないことが出たり、ますますわからなくなったりした。でも、楽しかった。(同様に「光子の裁判」 に言及した人、多数)
「光子の裁判」(朝永振一郎著「量子力学と私」(岩波書店)などに収録) は面白い話ですね。なかなかわかりにくいのが量子力学ですが、ああいうわかりやすい例え話は理解のとっかかりになると思います

講義を聞いたら答えがでるのかどうかわかりませんが、とりあえず最後まで受けようと思います。考えたらパ ニックになるので、何とか冷静に受け止められる方法があったら、知りたいです。でも感覚で理解しようとするのはいけないですよねぇ?
いけなくはないです。でも「感覚だけ」は困るし、「数式で計算できるだけ」も困る。いろいろと計算して苦労した上 で、何か感覚のようなものがつかめてくるかもしれません。がんばってください。

力学や電磁気と違って人間が見ただけで結果が違うことにおどろいた。
実は「人間が」見たということが重要なのではありません。人間でなくても、とにかく何か物体が感知しているかしてい ないかで結果が変わります。「状況が違えば結果が変わる」と考えるべきで「人間が感知しているかどうか」 は(たぶん)そんなに重要じゃない。

結局どういうことが、量子力学を理解したことになるんですか?
難しいですねぇ。私もいまでも「なんかおかしい。だまされているような気がする」って思う時があります。

光の検出器を置くだけで実験結果が変わるというのは不思議だ。まるで光子が意思を持っているかのよう。
これは詳しくは後の御楽しみなんですが、「検出器を置くだけ」と考えるのが間違いで、決して「置くだけ」ということ にはならないんです。光子は意思は持ってないんですが、粒子的に考えると「自分が行ってない場所に検出器があるかないか」という情報をなぜかにぎっている ということになってます。不思議な現象ですが。

光はいやらしすぎます。性格悪すぎです。
いや光は性格なんて持ってないんだけど(^_^;)。それに、こういう言い方すると「性格悪すぎ」なのは光に限らな いんです。。。。。電子も陽子も中性子も、みんないやらしい。

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