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第1章 量子力学の概観---初等量子力学の復習

 

 まず前期の授業「初等量子力学」で学んだことのうち、特に今後の講義で必要な事実を簡単にまとめつつ、量子力学の概観を見ておこう。

 

1.1 シュレーディンガー方程式ができるまでの歴史

 20世紀の初め頃から、1900年のプランクの黒体輻射の研究に始まり光電効果(発見は1887年ヘルツ、量子論的意味づけは1905年アインシュタイン)、コンプトン効果(1923年)などの研究から、波長λ(波数k=(2π/λ))、振動数ν(角振動数ω=2πν)を持つ光は一個あたりエネルギーhν=¥hbar ω、運動量(h/λ)=¥hbar kを持っている粒子(光子)の集団と考えることができることがわかった(hはプランク定数、¥hbarは{h/ 2π}で「ディラックのh」とか「エッチバー」と呼ばれる。)

 この時重要だったことは光のエネルギーの不連続性であったが、原子から出る光のスペクトルの研究から原子内の電子の持つエネルギーにも不連続性があることがわかった。ボーアはこの不連続性をプランク定数を使った式(量子条件)から導いた(1913年)が、その量子条件が物理的にどのような意味を持つかは理解されていなかった。

 1923年にド・ブロイが電子などの物質粒子についても光子同様にエネルギーE、運動量p は E=hν=¥hbarωとp={h/ λ}=¥hbar k のように表される、波動的性質を持つという仮説をとなえた。この仮説はボーアの量子条件を再現して原子の出す光のスペクトルを説明するのみならず、電子線の回折など他の実験の中で確認されていった。

 このような経過によって、波だと思っていた光には粒子性があり、粒子だと思っていた物質には波動性があることがわかった。どちらも、粒子性と波動性をあわせ持っていたのである。さまざまな形の物質(電子だとか陽子だとか)という、全く性質が違って見えるものに対して、同じプランク定数hを用いた式が成立するのは、量子力学というものの普遍性を表していると言えるだろう。

 物質を波として表現する時の表現方法の一つは波動関数と呼ばれる複素数の値を持つ関数である。一定の振動数νと波長λおよび振幅Aを持つ波は

Ae^{2π i¥left({x/ λ}-ν t¥right)} =A e^{i(kx-ω t)}

のような形の複素関数で表すことができる。このような関数の前では、

のように置き換えることができる。この置き換えを使って、古典力学におけるエネルギーと運動量の関係式であるところの、

E= {p^2/ 2m}+V(x)

{i¥hbar}{¥partial/ ¥partial t}ψ(x,t) = ¥left( {-¥hbar^2/ 2m}{¥partial^2/ ¥partial x^2}+V(x) ¥right)ψ(x,t)

と置き直したものがシュレーディンガー方程式である。

 なんでpを-i¥hbar{¥partial / ¥partial x}に置き換えができるんですか?という疑問がいくつか出た。置き換えることができる理由は結局、「後ろにAe^{2π i¥left({x/ λ}-ν t¥right)} =A e^{i(kx-ω t)}があるから」「実験的に運動量が(h/λ)=¥HBAR kだとわかっているから」である。ある意味、シュレーディンガー方程式は答えであるAe^{2π i¥left({x/ λ}-ν t¥right)} =A e^{i(kx-ω t)}が先にあって、それが出てくるように作っているとも言える。

 

1.2 古典力学と量子力学の対応

 このようにシュレーディンガー方程式によって表された量子力学は、我々のよく知っている古典力学と関係づけられたものでなくてはならない。以下は、ハミルトン形式で書いた古典力学と、シュレーディンガー方程式を使った量子力学(わざわざ「シュレーディンガー方程式を使った量子力学」と書いたのは、量子力学の表現形式としてもう一つ、ハイゼンベルクの形式があるからである。この講義では取り上げない。)との対応関係を表にしたものである。

座標 運動量 エネルギー 力学変数 方程式 極値を取るもの
古典

x(t)

p(t)

H

x(t),p(t)

{dx(t)/ dt}={¥partial H/ ¥partial p}, {dp(t)/ dt}=-{¥partial H/ ¥partial p}}

¥int ( p{dx/ dt}-H)dt

量子

<x>

-i¥hbar{¥partial / ¥partial x}

i¥hbar{¥partial / ¥partial t}

ψ(x,t)

i¥hbar {¥partial / ¥partial t}ψ=Hψ

 2π ∫( {dx/ λ}-ν dt)

この表についていくつか注釈を加えておく。まず記号<A>は「Aの期待値」であり、具体的にはたとえば、

 ∫ ψ^* A ψ dx

という積分によって計算される。4つめの欄の「力学変数」というのは今考えている理論の中で時間発展していくものである。古典力学では物体の位置や運動量そのものが時間によって変わって行くが、シュレーディンガー形式の量子力学ではxやp=-i¥hbar{¥partial / ¥partial x}は時間変化せず、波動関数ψ(t)が変化することによってその期待値が変化していく。

 スペースの都合でシュレーディンガー方程式をi¥hbar {¥partial / ¥partial t}ψ=Hψと略記したが、このHは古典力学におけるハミルトニアンH(x(t),p(t))にp→-i¥hbar{¥partial / ¥partial x}という置き換えを行ったものH(x,-i¥hbar{¥partial / ¥partial x})である。

 波として考えた時、力学的現象、たとえば「空中に放たれたボールが放物線を描いて曲がる」はどのように起こると考えればよいのか。

 古典力学的に考えると、位置エネルギーの高い方から低い方へと向かう「力」が働くことによって物体は「落ちる」。一方、シュレーディンガー方程式から考えると、位置エネルギーVが大きいところでは運動エネルギーに対応する項が小さくなる。それは「高いところでは波長が長くなれ」ということにほかならない。それゆえ、波が進行していくと、「落ちる」方向へ波が曲がって行くことになる。

 上の図の左側の破線は波の山を表す線である。波の振動方向と勘違いして「横波ですか?」という質問が来ていた。波動関数の波には「向き」はない。

垂直投げ上げを量子力学的に見たらどうなるんですか?

 授業中は言わなかったが、この話は前期にも出ていた。初等量子力学第8講のこのへん。ただしその時にはトンネル効果の話はしなかったのだが、ここではついでだからしておいた(どうせすぐに出てくるし)。

古典力学的に運動量が0になる点が最高点なんだけど、量子力学ではそこより上にもちょっとだけ粒子が存在できます。なぜかというと量子力学のせかいでは運動量が-i¥hbar{¥partial / ¥partial x}に置き換えられてしまってる。そして、この演算子に対応する値は波動関数がexp(-kx)のような関数になっていると、虚数になってしまう。だから運動エネルギー(p^2/2m)が負になることもできる(古典力学ではありえないけど、量子力学ならありえる)。だから古典力学的な最高点より上では、粒子の存在確率がexpで減衰していく、ということになる。この点は量子力学と古典力学が対応しないところなんだけど、もちろんこれも量子力学の方が正しい。投げ上げ問題では実験できないけど、半導体の中を進む電子なんかでは、古典力学的に考えるといけないはずの場所にまで行ってしまうことがあったりする。

 また表の最後の欄にあるように、このような法則は作用または位相が極値を取るという原理から導くことができる。波と考えれば位相(=作用÷¥hbar)が極値を取るのは波が干渉によって消されない条件となる。

 この辺↑の話は、初等量子力学の第9回を見よ。

 歴史的には古典力学がニュートンによって作られ、ラグランジュやハミルトンによって最小作用の原理という形に整備された後で量子力学ができた。それゆえ、歴史的順序としては古典力学が基本なのだが、この世界を司っている法則は何なのか、という意味では間違いなく、量子力学こそが本質である。古典力学は量子力学の近似にすぎない。野球のボールが放物線を描いて飛ぶ時、我々は「重力が作用して軌道が曲がったなぁ」と感じる。しかし本当は「波長が上へ行くほど長くなるもんだから、下へ下へと屈折していく」という現象が起こっているのである。

 古典力学において「物質の位置がxで運動量がpで」というふうに考えて計算していったが、量子力学の観点に立つと、このような計算はある意味「幻想」である。波動関数というのは常にある程度の拡がりを持つから「物質の位置」などというものは「だいたいこのあたり」というふうにしか指定できない。ただたいていの場合、我々の行う観測の観測誤差の方が波動関数の拡がりよりも大きいので、この拡がりは問題にならない。しかし、状況によっては、波動関数の拡がりというものが物理現象に目に見える形で入ってくるのである。

 xの期待値<x>は、まさに「粒子がどのあたりにいるのか」を表す量であるが、なぜそうなのかは、粒子がxからx+dxの間にいる確率がψ^*ψ dxで表されるということから理解できる。∫ x ψ^*ψ dxという量は、「確率の大きい(ψ^*ψの大きい)部分は大きな重みになるようにしてx の平均を取る」という操作を式にしたものであり、それは期待値という言葉の定義そのものである。 上の表で、量子力学においては力学変数がψ(x,t)であることに注意しよう。つまり量子力学においては物理法則(この場合シュレーディンガー方程式)にしたがって時間発展していくものはxやpではなくψである。そして、物体の位置だの運動量だのは、ψの状態から導かれる2次的な量である。 つまり、波動関数の中には「座標」「運動量」「エネルギー」など、古典力学ではおなじみの(比較的目で確認しやすい)物理量が埋め込まれているわけである。古典力学では目で見えていた「座標」が量子力学では「期待値」などというものに置き換えられてしまうことは、量子力学の理解をより難しいものにする。この置き換えについては次の章でくわしく述べることにしよう。

1.3 二重スリットで考える、波動関数の意味

 

 ヤングの実験やニュートンリングなど、光で見られる干渉現象は、電子などでも起こることが知られている。つまり、二つの波動関数が重なることによって、ある場所では強めあい、ある場所では弱めあう(極端な場合消失する)ということもある。では、この強め合ったり弱め合ったりしているものは何なのだろう?

 二重スリットの実験を考えてみよう。光でも電子でもいいが、波源から出た波が二つのスリットを通って干渉するという現象がおきる。しかしスクリーンに到着した時、そこには一個の粒子がスクリーンのどこか一点に到着する。たとえばスクリーンに感光剤が塗られていたとすればスクリーンの一点のみが感光する(その場所にある感光剤の原子が化学変化する)。光の強さをじゅうぶん弱くすれば、一回に一個の原子が化学変化するようにもできる。スクリーンに到着する時にもまだ物質が拡がりをもったままであったとすると、化学変化を起こすだけのエネルギーは一点に集中しない(このあたりは光電効果の量子性に関する議論と同じ)。 よって、「∫_a^bψ^*ψ=0.1ならばa〜b間には10分の1個の粒子が到着する」などと考えてはいけない。そこには10分の1の確率で粒子が1個到着するか、10分の9の確率でまるで到着しないか、どちらかである。ψ^*ψが表すのは確率密度であって物質密度ではないのである。粒子の数が非常に多い場合、たとえば全部で10000個あるのなら、a〜b間には1000個の粒子が到着することになる。

 

 スリットの片方を閉じると干渉縞は消滅する。そしてこの時、「スリットが両方開いていた時には粒子がやってこなかった場所」にも粒子がやってくるようになる。波として考えれば「消し合わなくなったから」と考えれば普通の話だが、「粒子が通ってくる道が増えたことによって、粒子がある場所にやって来る可能性が少なくなった」という現象は、粒子描像だけからは納得しがたい。スリットを通過している間は波であって、スクリーンに到着したとたん粒子性が復活しているかのような印象を与える。 ここで、「スリットが両方空いている時は、上を通って来た粒子と下を通って来た粒子、この二つの粒子が消し合っている」などと考えてはいけない。それではエネルギーや粒子数が保存されないことになってしまうし、粒子を一個ずつ送り込んでも干渉縞ができるという実験に反する。

 一つ注意しておくと、一般に波が干渉する時には、ある点で弱め合うならば、それと条件が違う別の点でかならず強め合いが起こっている。これは波動関数に限らず、どんな波でも同じである(外部の雑音とちょうど消し合うような音を出して雑音を聞こえなくするヘッドフォンが市販されているが、この場合、ヘッドフォン内部で消し合っている分、ヘッドフォン外部では音の大きさが2倍に増えている)。だから、波動関数の重なりによって粒子の数やエネルギーが減ってしまうような現象はけっして起こらない。

 今回は「量子力学」の一回目なので、「初等量子力学」の復習と今後やることの予告を、ということでこのようなテキストを用意したのだが、ちょっと内容よくばりすぎて時間が足りなくなった。というわけで、ここより後ろは、授業ではほとんどしゃべることができなかった。とりあえずのせておく。もしかしたら次回の授業はこのあたりをしゃべってから続けるかもしれない。

 上で述べたように、量子力学では波動関数が物理量であり、古典力学では物理量であった座標や運動量は、波動関数の中に埋め込まれている。波動関数から古典力学と対応した物理量(量子力学ではこのような量を「観測可能量(observable)」と呼ぶ)を取り出すにはなんらかの操作をしてやらなくれはならない。たとえば位置座標を取り出すならば、<x>=∫ dx ψ^* x ψ、運動量を取り出すならば∫dx ψ^* (-i¥hbar{¥partial / ¥partial x})ψといったぐあいに。このように、古典力学的物理量がどのような値を取るかは、その物理量に対応する演算子(今の例ではxとか-i¥hbar{¥partial / ¥partial x}だとか)の期待値で決まる。具体的にどのように物理量を演算子として表していくのかは、次章以降で詳細に述べる。

 簡単に期待値が求まる例を二つあげる。波動関数がψ(x)=Aδ(x-x_0)のような形をしている(デルタ関数δ(x)は、x=0以外では0であって、積分すると1になるような関数。つまりx=0になにかが集中している様子を表す) 時は、物体の位置はx=x_0一点に確定していることになる。

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 また、波動関数がAE^{(I/HBAR)PX}という形をしている時は、運動量がpに確定している。

しかしこのように座標や運動量が確定した形の波動関数は現実には存在しない。一般の動関数はこのどちらでもなく、位置も運動量もぼやけた状態になっている。

一つの波動関数ψが与えられた時、この波動関数はAδ(x-x_0)のような波動関数が重ね合わされて作られていると考えることもできるし、AE^{(I/HBAR)PX}のような波動関数が重ね合わされて作られていると考えることもできる。それだけではなく、もっと別の適当な関数の重ね合わせで作られていると考えることもできるし、そうした方が計算が楽になることもある。後で次々といろんな関数が出てくるだろう。

1.4 シュレーディンガーの猫

 この節も授業中にはまったくしゃべってない。もしかしたら来週するかもしれないが、すっとばしていくかもしれない。

 波動関数の収縮の問題に関して、「シュレーディンガーの猫」という有名な話がある。シュレーディンガーが、上のような「観測するまでは重ね合わせ状態」という考え方を批判するために持ち出した、以下のような例え話である(シュレーディンガー自身は量子力学を確率的に解釈することを嫌っていた)。

放射性物質が崩壊すると毒ガスが出て、中にいる猫が死ぬような仕掛けのしてある箱があったとする。放射性物質の崩壊というのも量子力学的現象で崩壊がいつ起るかは確率的にしか予言できない。だから、放射性物質の状態は(観測する前は)「まだ崩壊してない」と「すでに崩壊した」の二つの状態の重ね合わせになっている。しかし、「まだ崩壊していない」は猫の生と、「崩壊した」は猫の死と結び付いている。だから、観測する前は「まだ崩壊していない」と「崩壊した」のどちらにあるかわからない---つまり二つの状態の重ね合わせになっている---という状態を認めるのであれば、同様に、観測する前は猫が「生」と「死」の二つの状態にどちらにあるのかわからない---つまり二つの状態の重ね合わせになっている---という状態の存在も認めなくてはならない。 しかし我々は「生」と「死」の二つの混ざりあった状態の猫なんて、見たことはない…。

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この疑問をどう解決するのかは難しい問題で、考え始めると夜も眠れないほどに「はまってしまう」問題である。それゆえとりあえずはあまり深く考えない方が精神衛生上はいいのだが、量子力学において「状態の重ね合わせ」という概念が非常に重要であり、ミクロな話をする時にはこのような考え方を避けることはできないということは理解しておいて欲しい。

量子力学の標準的解釈であるコペンハーゲン解釈(または確率解釈)においては、観測することによって波動関数は重ね合わせの状態からいっきにどれか一つの状態へと収縮すると考える。そして、どの状態に収縮するかの確率がψ^*ψ によって表されると考える。

 シュレーディンガーの猫の話の焦点は、『波動関数の収縮はいつ起こるのか』という疑問である。これに対する答えとして、一つ有り得るのは、「測定器が放射性物質の崩壊を測定した時点でもう波動関数は収縮している」という考えかたである。この考えかたならば、生きた猫と死んだ猫の重ね合わせなどを考えなくてもすむ。しかし、「ではいったい何が波動関数が収縮するかしないかを分ける境界なのか?」という点はあいまいである。

 もう一つの考え方はウィグナーらによる「人間の意識に到達した時に波動関数は収縮する」という考え方である。人間が感知していない時に波動関数が収縮していようがしてしまいがある意味「{¥bf 知ったことではない}」と考えるとこの考え方には一理あるが、人間の意識など所詮は一連の化学反応ではないかという立場に立つと、「人間の意識が物理現象にとってそんなに重要だと考えるのは傲慢ではないか」とも思われる。

 また一つの考えかたは、波動関数の収縮などを考えず、観測した後も「猫が死んだと観測する観測者」と「猫が生きていると観測する観測者」の重ね合わせができていると考える。さらには観測者だけでなく、世界全体を重なり合ってたくさんあると考えてしまう。観測者がそれぞれ別の世界に存在しているので、各々の観測者はけっして重ね合わせを見ない。この解釈では、ありとあらゆる世界が並列して(しかし、互いの間には何の干渉も相互作用もないままに)存在していることになる。これを多世界解釈と言う。

 もう一つの立場としては、確率で決まるようなものはどこにもなく、実際には粒子がどの場所にいるかは最初から決まっているという考えかたであるが、この考えかたで実験を説明するには、非常に複雑で、かつ不自然な相互作用があると考えなくてはいけないため、主流とはなっていない。

 大事なことは確率解釈でも多世界解釈でも、計算の結果出てくる答は変化しないということである。たてるべきシュレーディンガー方程式も同じであるし、結果を見て「なるほど、50%の確率でこの粒子は崩壊しているな」と判断するところも同じである。

 したがって、実用の面からすれば、どの解釈を取るべきかということに悩む必要は、(一応)ない。そこでこの講義では今後はどの解釈を取るべきかという話はいっさいしないつもり(基本的にはもっともスタンダードな確率解釈の線にそって説明する)なので、興味のある人はいろんな本を読んでみること(多世界解釈派の書いた読みものとしては「宇宙の究極理論は存在するか」(ドイッチェ)などが面白い)

 このように量子力学というのは、ある意味我々の常識からは考えられないような現象を扱うものである。

 だが、このような「一般常識が通用しない」が「しかし真実」であったことは科学においてはこれまでもいくらでもある。たとえば「太陽が地球の回りを回っている」という常識は地動説にとってかわったし、「物体が運動している時はその物体に力が働いている」という常識は慣性の法則によって間違いであることがわかった。

 我々のすんでいる世界は、我々が目で見て直感的に感じるとおりに動いているとは限らない。「地球が動いている」と悟ったコペルニクスのように、慣性の法則を発見したガリレイのように、世界を注意深く調べることができる者だけが、直感によって覆い隠されていた真実を見抜くことができる。量子力学を勉強する時には、量子力学の常識破りな部分が、どのように注意深く組み立てられてきたものであるかを学びとっていかなくてはならない。「誰かがこう言ったから」「教科書にそう書いてあるから」ではなく、どのような過程でこの不思議な量子力学ができあがるにいたったか、そして物理学者達の苦労の末にできあがった量子力学というものがどのようにこの世界を記述しているのか、を自分で納得しながら学習していって欲しい。量子力学はなかなか納得できない、不思議な学問であるが、だからこそしっかり理解できた時の喜びは大きいと思う。

 

学生からのコメント・感想から

前から疑問だった。干渉して暗くなる部分の粒子はどこへいったのか?
暗くなる場所があればかならず明るくなる場所もある。暗いところへこなかった分だけ、明るいところへ来る粒子の数が増えています。

二重スリットの実験で、スクリーンにあたる瞬間に光や電子が波から粒子に変わるのを実際には無理だけど見てみたいなと思いました。
確かに見たい。見たいけどおっしゃる通り、実際には見れません。それを見るための装置をそこに置いたら、スクリーンにあたる前にその装置にあたる時に粒子に変わってしまいますね。

大学入って4年目ですが、こんなに質問が出る授業を受けるのは初めてです。
本来、授業のあるべき姿は学生がうるさいぐらいに質問しているのが状況だと思います。あなたもどんどん質問してください。

波動関数ψが足して0になっているところには、光子が一個も来ないのでしょうか。
きません。そこにくる確率が0なのですから。

半導体の中で電子がトンネル効果をするというのは、江崎さんのノーベル賞の奴ですか。
江崎ダイオードもトンネル効果現象です。

二重スリットの実験で、スリットじゃない壁に粒子があたることはないんですか?
もちろんあります。圧倒的にたくさんの粒子は壁にあたり、運よく通り抜けたものだけが干渉に参加します。

光子と光子がぶつかったらくっつくんですか? はねかえったりしないんですか?
光子どうしには力が働かないので素通りします。単に重ねあわされるだけです。

ハイゼンベルク形式の量子力学が本にけっこうでてきて理解する自信ないので授業で取り上げて欲しいです。
とりあえず、現在の学部レベルでは必要ないと思います。大学院の授業では話してますが。本を読んでわからないところがあったら個別に質問にきてください。-+

波動関数って、いったい何が波になっているんでしょうか?
何が波になっているか、と言われたら「波動関数」というのが答えでしょう。問題は、「じゃあ波動関数にはどんな物理的意味があるのか」ということです。それは今回のテキストにも書いたし、今後も何度も話していくことになるでしょう。

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