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4.4 最小作用の原理と、波の重ね合わせ

 次に、古典力学におけるハミルトンの原理との関係を述べる。ハミルトンの原理によると、作用の積分

 ¥int dt(p{dx/ dt}-H)=¥int (p dx  - H dt)

が極値となるのが実現する運動であるということが言えた。ここでド・ブロイとアインシュタインの関係式を使ってp=(h/λ),H=E=hνと置き換えると、

 ¥int ({h/ λ}dx -h ν dt)= h¥int ({dx/ λ}-ν dt)

が極値になる運動が実現する、ということが言える。この積分の中身の意味を考えよう。波長λ、振動数νの波がAsin(2π((x/λ)-νt))のように書ける(x方向に波が進んでいる場合)ことを思い出せ。この式からわかるように、時刻t、場所xでの波と、時刻t+δt場所x+δxでの波の位相を比較すると、波の位相は2π((δx/λ)-νδt)だけ変化している。つまり、この量は、位相差×(h/2π)である。

 なお、今後よくこの(h/2π)という組み合わせが登場するので、hの上の方に横線を引っ張った記号を使って、¥hbar(「エッチバー」と読む)={h/ 2π}と書くことにする。

 古典力学でのハミルトンの原理(「作用の値が極値をとるべし」)に対応するものは、波動力学では、「波の位相が極値をとるべし」である。

なぜ波の位相が極値を取らなくてはいけないのであろう。今、ある時空点(x_1,t_1)から(x_2,t_2)へ、いろんな経路をたどって波が到達したとする。(x_2,t_2)において観測される波は、そのいろんな経路をたどった波の和である。経路によって、波はいろんな位相を取る。そしてそのいろんな位相の波の足し算が行われることになるが、この時足される波それぞれの位相差が大きすぎると、波が互いに消しあってしまう。位相が極値を取るというのが重要なのではなく、極値を取るところでは変化が小さい、ということが重要なのである。変化が小さいところの足し算は、位相が消し合うことなく残る。それに対して位相が大きく変化しているところの足し算は、足し合わされて消えてしまうのである。

 たとえばボール投げた時なんかは、位相ってどうなっているんですか?
 ボールが図のAからBに移動するという場合、いろんな経路が考えられる。重力があるから、上に行くほど運動エネルギーが減るので、上の方ほど波の波長が長くなる(先週やった話)。図の点線のようにまっすぐな経路だと距離が短いけど、あまり上にあがってないから波の波長も短い。波長が短いと位相が大きくなる。一方、図の破線のように上の方に登る経路だと、波長が長くなるけど、距離が増えるせいで位相が大きくなる。つまり古典的な軌道(図の実線)から極端に離れると位相が大きく変化してしまう。古典的な軌道のところがちょうど位相が極小値になっていて、変化が小さい場所に対応しているわけ。
 ちなみに、第1回でやったヤングの実験なんかでは2つの経路を光が通るけど、あれは位相が極値になる経路が2本考えられる場合です。その2つの経路の光がうまく重なると明るい線になります。

 つまり、いろんな経路を伝わって波がやってくるが、実際にその場所にやってきた波を作っているのは、位相が極値を取っているような波が大部分である、と考えることができる。そしてそのような経路というのはつまり、古典力学で運動が実現する(作用が極値になる)経路である。古典力学的立場では、我々は粒子がニュートンの運動方程式にしたがって運動していると考えていた。しかし、波動力学的立場では、進行していくのはたくさんの波の重なりあいである。たくさんの波の大多数は互いに消し合うが、古典力学で計算される経路を通る波は消されずに残る。これが、我々がこの世界で古典力学が成立している(そして、最小作用の原理という物理法則がある)と`錯覚'した理由なのである(古典力学を一通り学習してのちに量子力学を学ぶので、「古典力学が基本であって、原子や分子のようなミクロな話をするときだけ量子力学が関係してくる」と思っている人が多いが、実際には量子力学こそが基本であり、たまたま量子力学的現象が顕著でないような場合に限って古典力学を使ってもかまわない、というのが正しい理解である)

 この波の重なる様子を具体的に考えるのは難しいので、だいたいのところどういう状況なのかを理解するために、簡単な積分の場合で変化のゆるやかな部分だけが生き残る例を示しておく。右のグラフは(x^2-2x+2)cos 100x^2のグラフである。この関数は、x=0付近以外では非常に激しく振動している(位相が100x^2という式であることを考えればわかる)。この積分を行うと、ほとんどx=0付近だけの積分と同じになる。つまり、x=0 付近以外の寄与は、結果にまったくといっていいほど影響されないのである。これと同様のことが、波動力学における波の重ね合わせでも起きている。ゆえに位相が極値となるような経路(古典力学的にはオイラー・ラグランジュ方程式の解となっているような経路)が主要な波の経路であると考えてよい。古典力学と波動力学はこのようにつながる。

【問い35】上では波の進む道が変化する場合について考えたが、次に、波の進む道は直線であって変化しないとして、波長が変化することによって位相がどう変わるかを考える。自由粒子(粒子には何の力も働いていない)の場合、波の振動数は

hν=(p^2/2m)= (h^2/2mλ^2)

で計算される。今、x=0からx=Lまで、t=0からt=Tまでの時間をかけて波長λの波が直線的に進行したとする。t=0,x=0で位相が0だったとすると、t=T,x=Lでの位相は

2π( (L/λ)- (h/2mλ^2)T)

である。λの違ういろいろな波が重なったと考えると、この位相が極値となるような波長の波が消されずに残ると考えられる。位相が極値となる条件を求め、その時の(h/λ)を求めてみよ。その物理的意味は何か?

【問い36】屈折の法則を、位相が極値になるという条件から導出してみよ。2次元平面を考え、(0,-h)から、(L,h)まで波が伝播するとする。上半面y<0では波長がλ_1、下半面y>0では波長がλ_2になっているとする。波が(x,0)において、下半面から上半面に入るとし、そこでは屈折するが、それ以外の場所では直線的に伝播すると考える。出発点から到着点までの、距離による位相差2π×(距離/波長)を計算して、極値となる条件を求め、それを角度の式に起き直すとよい。

 

第5章 不確定性関係と、波の重ね合わせ

この章では、量子力学における大事な関係式である不確定性関係について述べる。不確定性関係は「不確定性原理」と呼ばれることもある。この関係は、物質(光を含む)の波と粒子性によって必然的にもたらされる性質なのである。

5.1 ハイゼンベルグの思考実験

 今電子を顕微鏡で見ることを考えよう。普通の顕微鏡では電子を見ることはできない。顕微鏡あるいはカメラなどの光学系には分解能というものがあり、だいたい光の波長よりも小さいものは見ることができないのである。その理由はだいたい、以下のように考えることができる。

 横から光(この場合、光子という粒子と考える)を当てて、その反射をレンズで集め、スクリーンで見るとする。光を直線的に進んでいく光線のように考えるならば(このような考え方を「幾何光学的」と言う)、レンズの中心の真下P点から出た光はちょうどその真上にあたるA点に到達する。また、レンズの真下より少し離れた点Q点から出発した光は、Aより少し離れたB点に到着する。スクリーン上のどこに光がきたかによって、光がどの場所から発せられたかがわかる(カメラであればこの場所にはフィルムがあり、フィルムに塗られた感光物質が化学変化を起こす。目であれば視覚細胞が反応する)。

 しかし波だと考えると、P点から出た波がA点に到達する理由は、A点ではP点から来たいろんな光の位相がぴたりと揃い、互いに強め合うからである(このような考え方を「波動光学的」と言う)。いろんな路を通ってきた光の位相が揃う理由は、レンズ中では光速が遅くなるからである。一見遠回りしているかに見える、レンズ周辺を通ってきた光と、直進して近道を通ったかに見えるレンズ中心を通ってきた光は同じ時間をかけて伝播している。それゆえ、P点でこれらの光の位相はぴったり同じになる。

 このように考えると、P点より少し離れたQ点から出発した光も、もしも図に書いた二つの光線(破線で表した)の光路差が一波長程度までなら、Aに到達することができる(この場合は光は干渉によって消し合うが、完全に消してしまうことはない)。このため、A点に光が到達したとしても、図のΔx程度はどこから来たのかを判定できなくなる。近似をつかってくわしい計算をするとこのΔxは(λ/2sinφ)となる。

 光路差が1波長程度までなら干渉で消えずに残るという話ですが、光路差が1波長だとちょうど強めあうんじゃないんですか?
 それは、2本しか光がない場合の話。今やっているのは、連続的に変化する光の束みたいなものの端と端を見ている。「端と端で光路差が1波長」ということは、その両端の間に、光路差が0.3波長やら0.6波長やら、その他中途半端な光路差の光がたくさん入っている。そいつらを足しあげると波の山や谷を足し上げることになるから消えてしまう。

【問い37】Δxを具体的に計算せよ。

 本節は来週に続きます。

 

学生の質問・コメントから

 解析力学を勉強しなくては!(同様のコメント多数)
 勉強したほうが量子力学はよくわかります。でも今すぐにやらないと量子力学がまるでわからなくなるってことはありません。

 量子力学と古典力学って別々のものと考えてしまいますが(例えば電磁気学と力学みたいな感じで)実際には量子力学が正しくて古典は間違っているんですか? じゃあ今まで古典力学をやっていましたが、あれは架空の話ですか?
 架空の話と言われては古典力学が可哀想すぎる。せめて「量子力学の近似が古典力学ですか?」と言ってあげてください。近似というのは本当の姿とは違うけど、でも役に立つ。

 ジュラシックパークでマルコム博士が「カオス理論」とか言って物事の不確定性がどうのこうと言ってましたが、今日の話と関係ありますか?
 ありません。カオスってのは古典力学でもある話で、初期条件がちょっと違っているだけで時間経過した後の状態ががらっと変わってしまような場合を言います。量子力学の不確定性はこれとは別物。

 ヤングの実験ではしましまがたくさん見えましたが、あの場合極値がたくさんあるんですか?
 最小作用の場合でも、今回の位相の場合でもそうですが、出発点と到着点を固定して、いろんな経路を考えます。ヤングの実験の場合は、出発点が一つで到着点がたくさんあります。で、到着点の場所によってそこに波がうまく集まったり集まらなかったりするので、しまができます。

 

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