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2004.2.16

★また休み
 

2004.2.17

★「HELP!」というタイトルのメールが来る
 英語のみのサブジェクト、となると「あ、SPAMだな。下手するとウィルスつきに違いない」と思わず消しそうになって、よく差出人の名前みたら、YUKOMAENO。嫁はんやがな。「娘が熱を出して、息子が手を怪我しているから帰れるならはよ帰ってきて」というメールだったのだが。タイトルも差出人もみんな英語だから、もうちょっとで削除キー押しちゃうとこだったよ(^_^;)。

2004.2.18

★タコマといえば共振と習ったのだが
 TV番組「トリビアの泉」で「最強の橋が風で倒れたことがある」ということで有名なタコマ橋の話をしていた。有名な話だしトリビアでもなかろうと思ってたが、番組の説明の中で「共振」という話が出なかったので「おや?」と思って「タコマ 共振」でgoogleしてみた。風による渦の周期と橋の振動の周期が共振した、というのは間違っているという論文が1991年に出ているという話が見つかる。あんまりこういう話は得意じゃないので何がほんとやらよくわからんが、「トリビアの泉」は、こんなふうにいろんな説があるから「共振」という言葉を使って説明するのを避けたのかな?

2004.2.19

★眠れない子供たち
 今日の夜は早く寝よう、と布団に入ったが、娘(小5)と息子(小1)が騒いでいる。この二人も眠れないらしい。理由の一つは母親(つまりうちの嫁はん)がくだらないことを言ってわらかしているということもあるのだが。
 そこでわしは子供たちにこう言った。

「眠れんときは、難しい算数の問題を頭ん中で考えるといいぞ」

 わしは時々これをやる。というわけで娘と息子に

「1から10まで全部足せ。ただし、できるだけ計算が簡単になる方法を考えろ」

と言ってみた。これはすぐにできた。娘の解は「1+9、2+8、3+7、4+6で40。あと10と5が余るからそれを足して55」であった。ガウスまではいかないがなかなかよろしい。そこでさらに難問として、

「1から100までなら?」

と言った。娘が考え込んで「4555」という間違った答えを出した。ぶつぶつ言ってたことから推測するに「1の位だけ考えたら、1から10が10回現われる。10の位だけを考えたら10から90までの足し算が10個分。1から9までが45だから、10から90が10回分で4500。それに1の位の1から10までの55を足して4555」と考えたようだ。1の位が10回出ることを途中で忘れてしまっているが、それがなければ一応正解にたどり着きそうな過程ではある。もっともこの考え方だと「1の位は1から10」ってのはおかしい(1から9だから)のだが、100を忘れている分がちょうどこれを補っていたりする(^_^;)。
 ちなみに現在の目的からすると、ぶつぶつしゃべってはいかんのである。黙って考え込んでないと眠くならない。

 ところがそこで、息子が「おれならあてずっぽで当てるね」と言う。「じゃあ、なんぼだ?」ときくと、こう答えた。

「5050!」

 な、なんで当たるんだあああああ!!!!!

 ほんとにほんとにあてずっぽだったらしい。「55に似た数」というぐらいの推量は働いたんかな?

2004.2.20

★続・眠れない子供たち

2/19の内容、教える立場の人としてはまずいのでは?
「1から10の時は、11が5回出現する。」旨リードすれば
「1から100の時は、101が50回出現する。」方向へ演繹させ、
さらに、
「1から1000の時は、1001が500回出現。」
「1から10000の時は、10001が5000回出現。」
と手段を拡大していく方向が見えて来はしないでしょうか。

というメールをいただいた。確かに「教える立場」だとこうした方がいいのだろう(正解に到達できそうだ)。
 でも今回の場合は「眠れない時に眠くなるためのネタ」なので、むしろ長々と(^_^;)、「あーすればいいのかこーすればいいのか」と悩んでくれた方がよいのであった。
 さんざん悩んだ末に楽な方法を思いついたら、それはそれで楽しいと思うし。

 で、今日ちょっと聞いてみたが、まだまだ正解には程遠い。息子の方は「おれならあてれるもんね」というから「じゃあ、1から10000なら?」と聞いてみたが、今度はさすがにまぐれはなかった(^_^;)。

2004.2.21

★続々・眠れない子供たち
 今度は、「お子さんに演繹と帰納を教えるチャンスじゃないですか?」というメールが(^_^;)。
 なんでそう教育の話としての反応が多いのだろう(^_^;)。
 一昨日あれ書いた時は「そんなんしたらかえって眠れんでしょーが」という反応があるだろうと思っていたのだが。

 わしの感覚としてはこういうのは「遊び」の一環であって、「教える」なんて考えずに長く楽しんだ方がいいと思うんだよな。今日も息子に「教えれ!」と言われたが「嫌じゃ、自分で考えくされっ」と返事しておいた。

2004.2.22

★明日は卒業研究発表
 というわけで日曜ではあるが学校で発表の練習。帰ってきたのは夜9時。

2004.2.23

★卒業研究発表
 まぁうちの学生さんもなんとか発表できました。とりあえずほっと一息。

2004.2.24

★グリーン車とスーパーシート
 テレビで「グリーン車」という言葉を聴いた娘が「グリーン車って何?」と聞いている。嫁はんが「飛行機のスーパーシートみたいなもんや」と答えている。それで娘は「はは〜ん」と納得している。
 飛行機には(お盆の帰省の時等に)乗るが電車にはほとんど乗らない沖縄県民らしい会話と言えよう(註:沖縄には電車がありません)。

★Windows Updateの怪
 こないだから、何度updateをインストールしても、「Microsoft Data Access Component用のセキュリティ問題」とかの更新をしろとWindowsが言うのだがどないなっとるのだ。

2004.2.25

★今日は入試の試験監督
 たいてい試験監督は、ひま〜〜〜〜〜なものなのだが、今日は途中で気分が悪くなって救護室で受験させた学生が2名、質問が2回、トイレに行く学生が3人、コンタクトずれたからトイレの鏡で直したいという学生が1名、とイベント盛りだくさんであった。こんなに忙しい試験監督は初めてである。

2004.2.26

★ペプシ・バニラ
 御近所に米軍基地で働いている人がいて、その人からたまにアメリカでしか手にはいらんような変な飲み物をもらう。たとえばノンカフェインのルートビアとか、ダイエット・マウンテン・デューとか(ちなみに、沖縄だとノンカフェインじゃないルートビアだとか単なるマウンテン・デューならふつ〜に手に入る)。
 今日もらったのは、PEPSI Vanillaだった(^_^;)。
 コカコーラのバニラ・コークは「コカコーラにアイスクリームを入れてコーラフロートにした後、忽然とアイスクリームが消滅してその味だけが残ったような飲み物」であるが、ペプシ・バニラは予想の通り「ペプシコーラにアイスクリームを入れてペプシフロートにした後、忽然とアイスクリームが消滅してその味だけが残ったような飲み物」であった(^_^;)。
 とりあえず作ってみればいいというもんではないと思うぞ。

2004.2.27

★日記休み
 休んだことに気づかず、一時この日がなかったことになってた。

2004.2.28

★我が家ではなにやら宴会
 昨日までで1年で一番忙しい時期がなんとか通り過ぎた。で、今日は嫁はんが引越しする御近所の送別会とやらで昼から宴会している。昼の1時ぐらいから始まって今(ってのはだいたい深夜0時なのだが)も続いている。元気なやっちゃなぁ。

★「アインシュタイン相対性理論の誕生」
 という本(アマゾンならここ)を買って読む。まだぱらぱらと興味ある部分をつまみ読みしただけなのだが、なかなか面白そうである。4章で双子のパラドックスを扱っているのだが、M・サックスによる批判への批判にけっこうページが割かれている。さらに後半では「双子のパラドックスの回答には一般相対論が必要か?」ということが議論されている。著者(我孫子誠也)の結論は「必要である」ということになっている。これについての私の意見は「兄が宇宙を直進して一周する時、双子のパラドックスはどうなる?」の中に書いておいたのだが、

相対論的な考え方に従えば「物事は相対的」なのだから、「兄が加速したんじゃなく弟が加速したんだ!」というふうに「相対的」な考え方をしてもよさそうである。よって「兄がずーーっと静止していると考えることはできないのか?」という疑問が沸いてくる。この場合は兄と弟は対等になるかというと、そうはいかない。兄は途中、慣性力を感じる時間がある。一般相対論によればこの慣性力は重力と同じもので、つまり兄の静止している空間は曲がった空間であるということになる。兄は自分が静止していると考えたとしても「力を感じる」という物理現象によって、弟との不平等を強制されてしまうのである。この場合、兄が「重力を感じるから空間が曲がっている」と認識するためには一般相対論が必要になる。つまり「何がなんでも兄は止まっているとして問題を解きたいのだ!」という強い欲求がある時、初めて一般相対論が登場する必要がある。

ということである。わしはさらに千代島雅「双子のパラドックスの論理」の感想で、その一般相対論を使った考え方について書いている。大事なところだけ切り出すと、

アインシュタイン的に考えるからには、みかけの力が働いたとしても二つの解釈がありえる。「私が加速度運動しているからだ」という考えと「ここが重力場内にあるからだ」という考えだ。この二つのどっちであるかは区別できない。それが等価原理というものだ。大事なことは千代島氏が「みかけの力」と呼ぶ力は兄にとっては測定可能な量である、ということである(弟にはこういう力はないが、0だと測定するという意味ではもちろん測定可能)。そして、その測定可能な力を詳細に調べることで、(A)「自分が加速運動しているとしたらどんな加速度運動をしているか」あるいは(B)「自分が重力場内にいるとしたらどんな重力場内にいるか」を決定できる。念を押しておくが私は、(A)か(B)かのどちらであるかが決定できると言っているのではない。(A)だと思えば加速度が計算できるし、(B)だと思えば重力場が計算できる、と言っているのである。(A)の立場が正しいのか(B)の立場が正しいのか、ということは決定できない、というよりも聞く意味がない。どっちだっていい(まぁ、普通の物理常識的には(A)の立場に立つが)。(A)と(B)は座標変換でつながる。本質的には、(A)と(B)の違いは直交座標で記述するかと極座標で記述するかの違いと同じようなものだ。
 くどいようだがここでもう一つ強調しておく。「兄が力を感じる」というのは物理現象である。物理学者が(あるいは千代島氏が)加速度運動をしていると考えたから出現するわけではない。こういう実験をやれば必然的に兄は力を感じるのである。つまり、「力を感じた」→「原因は何か」→「加速度または重力場」というのが正しい論理の順番である。

である。我孫子氏はこんなことを書いている。

 兄だけが「みかけの力」を感じるという事実は、宇宙全体に準拠してみたときに、加速度運動するのは兄であって弟ではない、ということの証拠を提示しているのである。(中略)すなわち、兄が感じる「みかけの力」なるものも、実は「マッハの原理」が示すとおり、宇宙全体が及ぼす重力そのものにその起源があると考えざるを得なくなる。したがって兄の時計に遅れをもたらしたのもやはり重力の作用なのだ。

 うーんここまで断言するのはどうだろう??
 宇宙全体が加速度運動するような場合(つまり、ほんとは加速しているのは兄なのだが、兄が静止しているという立場で問題を解こうとしているわけだから)は兄が「みかけの力」を感じる、というのは確かにそうなのだろうが、それを「兄の時計に遅れをもたらしたのもやはり重力の作用」という言い方をするのは正しいのか?
 この立場の兄は自分の周りにある「みかけの力」の分布から、その力の原因がどこにあるのかをちゃんと計算できるはずであるが、その計算結果は「このみかけの力は周りの物体とは関係なく生じている」ことを示すものになるはずだ。そういうみかけの重力を「宇宙全体が及ぼす」と考えるにはギャップがある。
 そこのギャップをつなぐのに「マッハの原理」を使うつもりなのかもしれないが、「マッハの原理」を証明された原理のように扱うというのも行き過ぎだと思う。実際には一般相対論はマッハの原理に完全に準拠しているとはいえない。マッハの原理に完全に準拠している理論なら、カーの解(他には何も物体がないのに、中心にあるブラックホールが「回転」している!)なんて出てこない。

 長くなったな。全部読んだあとで書評のページにするべきだったか。

2004.2.29

★日付がずれてた
 またやっちゃった。27日に日記休んだのにその分飛ばしていた(というわけで直した)。気をつけておかないと明日が2月30日になりそうである。

★ところで仮面ライダーブレードだが
 息子も娘も見るのやめました。嫁はんも「もうええわ」とか言ってます。おとーちゃん(わし)だけが見てます。他の家ではどーだかわかりませんが、番組の行く末が心配です。1クール過ぎたら1話完結でバトル盛りだくさんで何も考えなくても見れる番組に変質しているかもしれません。2クール過ぎたらファイズや龍騎やアギトが客演しているかもしれません。サブタイトルが「7人ライダー集結、敵の基地を叩け!」とかになって。
 いやそれはそれで面白いかもしれんな(^_^;)。


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