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2012.1.16

★今度は「物理の基本法則の欠点見つかる」なんてタイトル
のニュースが出ているので、ちょっと書いておく。
 最近物理関係のニュースがあった時と「プログラム作ったよ〜」とか更新してないのは自分でも情けない限りでなんとかしたいのではあるが、まぁそれはそれとして本日のニュースから。

 たとえば、日経がハイゼンベルクの不確定性原理を破った!小澤の不等式を実験実証というタイトルで書いてたりする。これが一番「温厚」なタイトルかもしれない(記事内容も、もっとも詳しい)。
 ちなみに今回は実験の話なのだが、その元となった理論的研究については、なんとこの日記の2004年3月10日に書いている(この日記に書いている物理学会誌の記事は、こちらから取れる)。つまり、理論的な話としては新しくない。実験で確認できたという点が新しいのだ。
 一方たとえば毎日は量子力学:不確定性原理に欠陥 名古屋大教授ら実証とか書いている。「破る」と「欠陥」はどっちもどっちと思えるかもしれないが、小澤さんだって「不確定性原理は間違っている」と言っているわけではなく、実際の測定の結果に対して適用する時には違う式になるよ、と主張しているだけである。また、47newでは、物理の基本法則に欠点、名大発見 不確定性原理、成立せずなんてタイトルなのだが、「物理の基本法則に欠点」までくると「それちょっと煽りすぎ」になるだろう。
 そもそも、実は不確定性原理というのは、今となっては「量子力学の他の原理から導かれるもの」であって、「基本法則」ではないと思う。だから「不確定性原理」じゃなく「不確定性関係」と呼ぶべきだという話もあって、「よくわかる量子力学」でも「不確定性関係」という言葉をメインに使っている。もちろん、記事にある「小澤の不等式」だって量子力学の基本法則から(別の状況において)導かれているのである。
 つまり今回の話は全て「これまでの量子力学を真面目に適用するとこういう結果が出る」ということなのであって、「新しい量子力学ができた!」というものではない、ということ。それでももちろん面白くてすごいことなのであるが、「これで量子力学終わった!」みたいな話ではないので注意である(とまぁ、ニュースに冷水かけるのも何度めであろうか)。

 ちなみに2004年の日記の最後に、「テキスト書くときにはよく調べてから、気をつけて書かないといかんなぁ」などと書いている(この時はまだテキストが本になるとは思ってない)。「よくわかる量子力学」では「観測することによって状態が乱されることによる不確定性ももちろん存在するが、それについては、ΔxΔp>hbar/2とは少し違う関係式が成立することがわかっている。」とだけ書いている。詳しい説明は入門書に入れるものではないと思ったので外したが、そういうものがある、ということだけは書いておこう、と思ったのである。
 それにしても量子力学は魔窟である。

2012.1.19

★考えなしに「大学秋入学へ」と流れる事への心配
 東大、秋入学へ全面移行検討というニュースが出ている。「入学時期の見直しを検討している東京大学の懇談会が、学部の春入学を廃止し、秋入学への全面移行を求める中間報告を取りまとめた」のだそうで、他のニュースとかも見ると、5年後ぐらいに実施される可能性もあるようだ。その後のニュースによると、他大学も追従する可能性は多いにあるようである。

 実はすご〜〜〜く、心配している。

 いや、東大の心配はしてない。
他人事ですから。

 「東大がやるんなら」とか、「うんうん、これからはグローバル化だからね。大学は国際社会に対応しなきゃね」とか、適当な(←この場合の「適当」は「appropriate」の意味ではなく「irresponsible」の意味ね)掛け声のもと、東大ほどの地力のない他の大学(うちも含めて)が深く考えずに秋入学を進めてしまわないか、と心配している。
何より心配しているのはもちろん自分んとこ。我が身かわいやほ〜やれほ。

 何より「高校卒業は3月、大学入学は9月」というギャップの存在を心配している。さらに「その間はボランティアでもして〜〜」という流れがやばい。2006年9月11日の日記に、大学入学にブランクを作り、その間に介護体験などをさせるという案(幸いこれは案だけに終わった)について、m9(^Д^)プギャー!!したが、同じ心配をまたしなくちゃいけなくなった。

 その時書いた、「高校卒業と大学入学に6ヶ月のブランクがあると何が起こると考えられるか」の部分をペーストしよう。

 どうなるかというと、間違いなく、ほとんどの学生が高校で勉強したことすっかり忘れてしまう。これは冗談でも何でもない。夏休みの1~2ヶ月休むだけで、ほんとうにあきれるほど学生は勉強したことを忘れる。まして高校卒業して半年のブランクは大きい、大きすぎる。
 それというのも、今の大学受験生の多くにとっては「大学入る事」が目標で「入って勉強する事」は目標に入ってないからだ。極端な話「もう入学したんだから、高校の時に勉強したことは忘れていい」と思っている学生はいっぱいいる。だから、大学4年になって、三角関数の微分積分すらおぼつかない理工系学生が生まれたりする。だから、大学入ってすぐの時期に「あっ、大学でも勉強しなきゃいかんぞ」と思わせる時期が必要なのだが、この奉仕活動とやらは、その時期の学生に「勉強しなくていい時間」を与えてしまうことになるのだ。

 「そんなに簡単に覚えたこと忘れないでしょ?」と思うだろうか。しかしいろんな大学でやっている推薦入試(「AO入試」なんて呼ばれてたりする)で入学した学生が、(試験が終わったら勉強しなくなるから)いざ入学すると大学の授業についていけなってしまう例が多い、という話まであるのだ。
 今大学生の学力低下は問題になっているが、学力そのものの低下よりも大きな問題が、この「もう入学したんだから、高校の時に勉強したことは忘れていい」と思っている学生の存在じゃないかと思う。受験生に「今だけがんばればいいから、大学入るまでの辛抱だから」とか言っている親や教師がかけたプレッシャーが、すこんと大学入ると抜けるどころか負圧になるようなのだ。勉強ってそんなもんじゃないよ、ということをどこかで気づかせないとダメなのだが、最近は大学入試が(少子化などのせいで)「難関」ではなくなってしまい、「試験前になってがんばればなんとかなる。試験前になんとかするのが勉強」という気持ちのまま大学生になっちゃうのがいるわけだ。
例えば「量子力学」の勉強を試験の二週間前に始める奴とかね。

 昨今の風潮は(学生の意識だけじゃなく)、もはや社会が「大学は勉強するところだ」ということを忘れてるんじゃないかと思うほどだが、当然そんなことはない。当たり前だけど、勉強ってのは大学に入るためにやるもんじゃなくて、大学を卒業したその先でやることのためにやる。だから例えば理学部物理を出たらこれぐらいのことは身に付けておかなくては、という学問のレベルというものがある。そのレベルを守るためにかなり苦労しているのが現状だ。
 東大はある意味、特殊である。なんだかんだいっても優秀な学生が来るんだから、多少ギャップの間に呆ける奴がいても、すぐリカバリーできるかもしれないし、そもそもギャップの間に呆けないかもしれない。それに多分、東大の先生達は上に書いたような心配に対する対策をするだろう(対策するだけの余裕が東大にはある)。
 わしが心配しているのは、「東大がやるから」「グローバル化だから」と掛け声だけ掛けて、上に書いた面(およびその他諸々の秋入学のデメリット)に対してろくな対策も立てずに導入されちゃたまらん、ということだ。東大や京大あたりなら大丈夫なことでも、他の大学では無理筋になる。そこがわからぬままに「奉仕活動させることで社会との連帯を」「この期間に海外を体験してくることで視野を広げて」などのお花畑論で進められては困るのだ。

 嫌な予言をしておくと、この半年のブランクへの有効な対策をしないまま秋入学が施行されたら、

大学生の学力低下に対するクリティカルヒット(もちろん絶望的な意味で)

になる。
杞憂で終わってくれれば、こんなうれしいことはない。


 秋入学にするのなら、4月から9月までの半年間は「大学0年生」だと思って大学で「大学で勉強するというのはこういうことだ!」という授業をやるべきだろう。ボランティアだの何だの、他のこともやっていいが、その半年間に学生が何を勉強し何を準備すべきかということについて、大学が責任を持つべきだ。そのための予算をつけ、人員を配置したうえで「大学0年教育」(これは「希望者受講」などという甘いものではダメ。「受講しないと入学させない」ぐらいの強制力が必要)ができるのなら、特に理工系の大学の教育にとってはありがたい、むしろチャンスになる。その為におまえが働け、と言われたなら、粉骨砕身努力させていただく。

 ああ、そんなふうに世の中が進んでくれたらなぁ。しかしそうなってくれる未来が頭に描けない。
掛け声だけの適当な「改革」を見せられすぎたんだよね。
 今はただただ、心配しているのである。

2012.1.20

★電子教科書への期待
 appleが電子書籍(特に電子教科書)を作るためのソフトを無料で公開した(ニュースは例えばここ)ということで、「ううむ」と思いつつ、もうほとんどこのソフトを走らせるために必要なMacを一台買おうか、という気分になっている。

 というのは、せっかくの電子教科書という便利な道具ができた(できつつある?)のだから、物理(理科)教育でもっと使えないか、と前々から思っているからである。今回のAppleみたいにどっかに盛り上がる要素が出てきたら一緒に盛り上がりたいと思っているのだ。
 前々から電子的な「動く教科書」の威力を試したいと思って、「微分ってなあに?」とか「半減期ってなあに?」とか(残念なことにはこいつらはFLASHで作ったので、iPadでは動かない。いずれHTML5で書き直したいと思っている)、“動く教科書”の例を作ってみたし、授業の中にandroidのシミュレーションをいじらせる時間を作ったりもした。

 わしの夢は全ページが「微分ってなあに?」のような調子で動きまわる電子教科書を作ること。力学や電磁気、あるいは波動や量子力学などなど、動く図があれば理解が進むであろう「物理の教科書」はたくさん考えられる。いろいろやってみた結果を見ても「動く図」および「動かせる図」が与えてくれるインパクトは絶大なのだ。特にandroidでわかったのは「指で動かせる」って大きいなぁ、ということだった。

 今回の電子教科書作成ソフトがどの程度インタラクティブに動かせるものを作れるようになっているのか、これから調べて、できる限り面白いもんを作りたいと思っている。

 こういう話をしていると必ず出てくる「そんな便利なもんを使ったら、人間が怠けちまうわい」とかいうじじい(いやじじいに限らんか)に対して言いたいことを書いておく。

 便利なもんができたら怠けるんじゃなくて、便利なもんを使ってもっと遠くへ行くんだよ! そのための道具なんだよ!

 科学はどんどんずんずん進歩していく。もし「学習の道具」と「教育の技術」が一緒に進歩しないのなら、我々の次の世代は、我々よりもたくさん勉強しないと我々と同じスタート地点に立てないことになる。未来の学習者のために、今ある「学習の道具」と「教育の技術」を磨いていく必要がある。電子教科書は、そのうちの一つ(「一つ」であって全てではないが、たいへん有力な道具)である。

 あと、「教授術を磨けば電子教科書なんていらない」なんてことを言いそうなクソジジイ(いやジジイに限らんか)にも言っておく。

 教授術を磨くなんてことは言われなくてもやってる、やって当たり前のことなんだよ! その上にさらに電子教科書も使うんだよ!!

 同じような調子で「教科書は中身が勝負」とか言うジジイもいるかもしれないが、これも同じ。「中身がいいうえに、電子教科書としてもすごい」ものを作ればいいのだ。

 androidなりJavaアプレットなりで物理シミュレーションを作っていて、ふと思うことがある。「もしマックスウェルがこれを見たらどういうだろうか?」ということだ。
 マックスウェルは熱力学関数の関係を理解するために、石膏で立体的な体積-エントロピー-エネルギーのグラフを作ったという(Wikipediaの「Maxwell's thermodynamic surface」の項目に写真がある)。彼はビジュアルに見せることの効果を知っていたからこそ、紙にグラフを書くことに飽き足らず、自分で石膏像を作ったのだ。
 だからわしは思うのだ。もしマックスウェルがわしが作ったベクトルポテンシャルの動く図(昨年12月5日の日記参照)を見たら、絶対に言うだろう、

「これの作り方、教えて!」

と。

 わしらはマックスウェルよりもずっと恵まれた時代に生きている。それなのに物理を教える技術がマックスウェルの時代と似たりよったりでいいはずがない。

2012.1.21

★大学秋入学、続き
 誰かが「杞憂ですよ!」と言ってくれるのを少し期待してたけど、誰も言ってくれない。
 Yahoo ニュースの、『秋入学 国立大学長アンケート 「国際化に有利」』によると、
国際競争力の向上を目指す有力大学の他、留学生の受け入れが多い農業、工業、外国語大では導入に前向きな意見が目立った。一方、小中高など日本の教育制度と進路が密接に関わる“教員養成大学”では「メリットがない」などと否定的な傾向が出た。

のだそうな。「国際的競争」という意味では、これまで「留学しようと思っていたがアメリカの大学に行くと9月入学になって間空くのは嫌だな。やっぱり日本の大学にするか」と思って国内大学(たとえば東大)に来ていた連中がさっさと留学してしまう(平たくいえば「競争しやすくしたことで競争に負ける」)可能性もあるんだが、それは「国際化」の為には容認するのだろうか。
 最後にアンケートの一覧があるが、我が琉球大学は、「△ ノウハウないが、検討したい」だそうである(ちなみに、ほとんどの大学が△で答えている)。「国際競争力いいですねぇ」という反応でなくてよかった。
先のことはわからんけどな!

 ちなみに当の東大が入学時期の在り方についての検討という文書を出していて、その中で

大学に入ってくる若者に対し、受験競争の中で染み付いた点数至上の意識・価値観をリセットし、学びに取り組む姿勢を転換させるため、いかにインパクトのある体験を付与するかは、大きな教育上の課題と考えられる。

なんて書いている。つまりは一昨日の日記で書いた学生の質の問題はちゃんと把握している、ということのようだ。さて、問題は「(ギャップの間に)付与されるインパクトのある体験」ってのがちゃんと提供できるの?---できないんなら高校と大学にギャップがない方がいいんじゃないの??---という点。この報告書には国際体験をさせる案とか、いろいろ書いてあるけど。
 あたりまえのことだけど、この半年、新入学生に何をさせるかについて大学が責任を持つのならば、それは大学への負担増、ということになる。負担増に耐えられる大学はいい。また、「やりがいのある負担」ならいい。ずっと心配しているのは、「こんなもんが役に立つわけねぇじゃねぇか」とやっている方まで心の中で舌出しているようなもんになりゃせんか、ということだ。

★どうでもいいことだが
 「桜の季節に入学するのが日本の伝統」とかいう理由で反対している人がいるけど、ああいう声を聞くと天邪鬼な私の心の中で「そんな奴がいるなら春入学やめとけ」という声がしてしまって困っている(^_^;)。
 ちなみに(と全然違う話が始まるのだが)数カ月前から小便をする時に洋式大便器に座ってするようにしている。嫁さんに「立って小便されると汚れるから」と言われたのも理由の一端だが、テレビで誰かが「小便は立ってしないと男の尊厳というものがなくなる」と言ってたのが理由の(一端を除いた)大部分である。
そういうこと言われるとその逆をやりたくなるよ。

 「伝統だから」とか「尊厳だから」とか言われると逆をやりたくなる。わしに「◯◯」をさせたかったら「◯◯しないのが日本の伝統というものです」と言うことだ。
 嫁はんはとても喜んでいる(^_^;)。

 まぁわしの小便の話はどうでもいいのだが、何かに反対するなら実と理を持って反対して欲しい。「入学は桜の季節、それが日本の伝統」とか言う人には

「伝統だから」と言えば相手が説得されると思うんじゃねぇ

と言いたい。

最近口悪いなおまえ。




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