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前回の復習から入ったが、まず強調したことは「運動方程式」は速度を含まない式だが、マックスウェル方程式は「光速度」という速度を含む式であるということ。

ここで力学の歴史を思い出すと、アリストテレスの自然観の中では、(力)=(質量)×(速度)であって、「物が動いているということは、そこに力が働いている」という考えがあった。しかしそれでは「力を受けていなくても物体が動いている」という現象(たとえば、慣性で動き続けているという現象)を説明できない。それに、等速直線運動している電車の中で起こる物理現象は、静止している時に起こる物理現象と同じであることも経験するが、(力)=(質量)×(速度)が物理法則であったなら、こんなことにはならない。正しい物理法則は(力)=(質量)×(加速度)なのである。

この(力)=(質量)×(速度)は素朴な直感には合う。それゆえガリレイやニュートンが正すまでアリストテレス的自然観は続いたのだが、ガリレイがやったように精密に自然を観察することで、物理法則が見えてくる。人間の直感は常にあてるになるとは限らないことに注意しよう(特に相対論の勉強では、このことを思い知らされることになるのだから!)。

第2章 座標変換と運動方程式

第1章の前半では、力学の法則が相対的であること、つまり絶対空間が存在しない(少なくとも、感知できない)ということを説明した。この章では、そのことを数式を使って考えていく。そのために、座標系の変換ということについて勉強する。

物理を記述するにあたって、座標系は大事である。というより座標系を置かないと何も始まらない。相対性、すなわち「見る立場が違っても物理法則は変わらない」ということは数学的言葉を使えば「座標系を変換しても物理法則は変わらない」と表現できる。よって相対論を理解するには、座標系を変換する(ある座標系から別の座標系に移る)ということの意味を理解することが必要である。この章では相対論以前のニュートン力学の範疇において、座標変換と力学の法則の関係を整理しておくことにする。

2.1 座標系と次元

座標系というのは、物体の位置を指定するための道具である。たとえば将棋盤の駒を「7六歩」などと表現するが、これは左から7番目、下から6番目のますに歩を進めるという意味で、「7」と「六」という二つの数字で場所を指定している。力学の問題のほとんどは「ある物体がどこにいるかを予言する」ということなので、まずは「どこにいるか」を数学的に表現する方法が必要なのである。

将棋盤の例なら二個の数字を使って場所を表したが、物理の一般の問題ではもっと多くの数字を使って物体の位置を表現することが必要になる。物体の位置を指定するのにどれだけの数を指定しなくてはいけないかを「次元」という。将棋の駒ならば二つの数字でOKなので、2次元である。一般に空間の中にいる物体の位置を指定するには3つの数字が必要であり、これを「3次元の空間」のように表す。

4jigen.png

相対論では、4次元、すなわち4つの座標を使って運動を記述するということが大事になる。「次元」という言葉はずいぶんいろんな意味に使われていて*1、一般社会においては「4次元」という言葉は特に謎めいたイメージを持たされている。しかしここで言う「次元」というのは「いくつの数を指定すれば系の状態が決まるか」という意味であって、それが「4」であるということは、別に不思議なことではない。例えば待ち合わせをする時、「じゃあ、生協食堂前で会おう」では待ち合わせはできない。かならず「何時に」ということも決めるはずである。「生協食堂前」を指定するのに数字を使うとしたら、3つの数字が必要である*2。これに時刻を足して4つの数字を指定して始めて待ち合わせが成立する。つまりこの場合必要な数字は4つ。これを「4次元」と言う*3

物体の位置だけを問うのなら、3次元でいい。ニュートン力学の世界では、3次元空間と1次元の時間は完全に切り放されて、別個に存在している。相対論的世界では、空間と時間の間に少し関係が生じてくる。そのため、相対論の話をする時には4次元的記述が好まれる(と、今言ってもわからないだろうけれど、授業が進むにつれてわかってくるはずである)。

以上のように、4次元と言っても別に怖いものでもなんでもなく、物体の位置と時間を指定するには4つの座標が必要だ、と言っているだけのことである。我々の住んでいるこの宇宙は3次元空間+1次元の時間で、「4次元時空」と呼ばれる。時間だけは多少違うので、「3+1次元時空」という呼び方をする人もいる*4。だから、「4次元」と言われただけで不必要に「難しい話が始まる」と緊張する必要はない*5

座標の取り方はいろいろあるが、ここでは一番簡単な直交座標、すなわち互いに垂直な空間軸x,y,zをとることにしよう。これに時間tをあわせて、座標は4つ(x,y,z,t)である。ある一つの物体の運動は、この「4次元時空」の中の線で表されることになる。図の「ある時刻のある粒子の位置」を表すには4つの数字が必要だということである(図ではz座標を省略している)。なお、「ある時刻の宇宙」はこの4次元時空のうち、t=(ある一定値)に限った部分ということになる。ほんとは3次元分の広がりがあるが、図ではz軸が書かれていない分、2次元の面のように描かれている。この面を「面のようだが3次元分ある」ということで「超平面」(hyper surface)と呼ぶ。

4次元時空の中で、3次元的に見て「点」であるところの一つの物体というのは「点」ではなく「線」になる(この線を「世界線」などと言う)。

4次元的にも点であるような物体はないんですか?

そんなものがあったら、ある瞬間現れたと思ったらさっと消えてしまう、というふうに観測されるだろうねぇ。

2.2 1次元空間の座標変換

簡単のため、まず空間座標はxだけ考えて、y,zは無視して考えることにする。つまり1次元空間、時間を合わせて2次元(1+1次元)時空である。1次元での空間座標はx一つで、どこかに原点を選び、あとは軸の向き(1次元なので左か右か二つに一つ)を選べば、原点から軸の正の方向に何メートル行った場所か、ということで位置を指定できる(ここでは「メートル」と書いたが、もちろん「フィート」でも「尺」でも「オングストローム」でも「光年」でも支障はない)。

coord1.png

まず簡単な座標変換として、原点の移動を考えよう。新しい座標系x'系の原点が古い座標系x系で表してx=bという場所にあるとする。座標系の向きと目盛りの幅は同じであるとすると、この二つの座標系はx'=x-bという関係で結び付いていることになる。この場合、二つの座標原点は互いに運動していない。x'座標系の原点はx座標系の原点よりも右(つまり、正の方向)にあるのだが、式の上ではx'=x-bと引き算される形になっている。勘違いしてx'=x+bとやってしまうことが多いので注意しよう。「x'=0がx=bに対応する」ということに注目して、そうなるように式を作るならばx'=x-bでなくてはいけないことが納得できるだろう。

coord2.png

次に座標の原点自体が刻一刻と等速度vで移動している場合を考える。この場合、b=vtと考えて、

x'=x-vt

という変換則に従っている。この座標系x'は、いわば速度vで走る電車の内部の座標系である。電車内でみると静止しているx'=0という点は、外からみると、x=vtで表される。つまり、等速運動して移動している点に見える。

denshacoord.png

ここであげた式ではt=0でxとx'の原点が一致しているとしたが、もちろん一般には一致する必要はなく、x'=x-vt-b でよい。この形でもx'座標系の原点がx系でみると等速運動しているという点は同じである。

この時、x系とx'系で、時間は変化しないと考えられるので、

t'=t

である。あたりまえのことのようであるが、これは重要な(後で変更をせまられることになる)式である。このような互いから見て、相手の座標原点が等速で運動しているような座標系の間の座標変換をガリレイ変換と呼ぶ。

2.3 速度、加速度のガリレイ変換と運動方程式の不変性

さて、「電車内でも外部でも同じ物理法則が成立する」ということを、今考えたガリレイ変換と力学の法則を使って確かめよう。

ガリレイ変換の一般式x'=x-vt-bという変換式を微分していくと、

x'=x-vt-b

{dx'\over dt}={dx\over dt}-v

{d^2x'\over dt^2}={d^2x\over dt^2}

となり、加速度はどちらの座標系でも同じ。

ニュートンの運動方程式は(1次元であれば)m {d^2 x\over dt^2}= F と書ける。加速度は「単位時間あたりの速度の変化」であり、ガリレイ変換では速度は変化するが、加速度は変化しない(単位時間前の速度も、単位時間後の速度も同じだけガリレイ変換されるから)。ゆえに、運動方程式の形はx系でもx'系でも変化しない。つまり、互いに等速運動している二つの観測者は、どちらも同じ運動方程式を使って運動を記述できることになる。運動方程式に加速度という「速度の変化」だけがあらわれていることから、当然の結果である。

二つの座標系で、同じ運動を記述してみる。x系とx'系は原点が一致しているものとする(上のb=0)。今x系で時刻t=0に原点に静止していた質量mの物体に、力Fを\Delta tの間加え続けたとする。x系およびx'系で成立する運動方程式は

F= m{d^2 x'(t)\over dt^2} または F= m{d^2 x(t)\over dt^2} と書ける。 これをtで2回積分すると、

{d^2 x(t)\over dt^2}= {F\over m}

{d x(t)\over dt}= {F\over m}t+C_1

x(t)= {1\over2}{F\over m}t^2 +C_1t +C_2

となる(C_1,C_2は積分定数)。

x系で考えるならば、x(t)の初期値(平たくいえばx(0))は0、初速度({dx(0)\over dt})も0であるから、C_1,C_2はともに零となる。

x'系での運動を考えるには、二つの方法がある。今求めた解をガリレイ変換するという方法と、x'系での初期値を用いてC_1,C_2の計算をやり直す方法である。ガリレイ変換ならば、

x'(t)=x(t)-vt = {1\over2}{F\over m}t^2 -vt

と公式どおりに求まる。x'系での初期値を考えるならば、x系で静止している、ということはx'系でみるとvの速さでバックしているということになるので、x'(0)=0,{dx'(0)\over dt}=-v となって、C_1=-v,C_2=0となる。結果は、上の式と同じである。

kasoku.png

二つの結果を、x系とx'系でグラフにしてみたものが左の二つの図である。x系で見ると「静止した状態の物体が速度を少しずつ増しながら離れていった」と見える運動であるが、x'系でみると、「最初左へ走っていた物体がだんだん遅くなり、やがて止まって今度は右向きに走りだし、自分の前を通りすぎてどんどん右へと速度を増しながら離れていった」ということになる。等速運動している自転車を、後から発車した自動車があっという間に追い抜いていった、という状況である。

上のグラフで、t=t'なのにt軸とt'軸が同じ軸でないことをおかしく思う人もいるかもしれないが、t軸というのはx=0で表される線であり、t'軸というのはx'=0 で表される線であることに注意せよ。つまりt軸とt'軸が同じ方向を向かないのはxとx'にずれがあるからなのである。この二つのグラフは、グラフを水平方向(x方向)に、高さ(t座標)に比例した距離だけ横にずらしていくことによって互いに移り変わる。つまり、3+1次元空間のうち、3の部分(空間あるいは超平面)を時間に応じて動かしていくという変換を行っていることになる。

x'座標系で見て速度V'で動いている物体に関しては

x'=V't'+b

(bは定数)が成立する。この式にガリレイ変換を適用する。x'=x-vt,t'=tを代入すると、

\begin{array}{rl}x-vt=&V't+b   \\x=&(V'+v)t+b   \\\end{array}

となる。つまり、x座標系ではこの物体はV'+vの速度を持つ。

前の章で「絶対静止しているかどうかは判定できない」ということを強調したが、その理由は今示したように、互いにガリレイ変換で移ることができる座標系であれば、どの座標系でも同じ法則が成り立っているからである。物理法則(この場合ニュートンの運動方程式)にあらわれるのは加速度であり、上のグラフでいえば、物体の運動を表す線の傾きがどの程度変化しているか、つまりは線の曲がり具合いである。ガリレイ変換は線の傾き(つまりは速度)を一定値だけ変えるが、その時間的変化量(曲がり具合い)を変えない。そのため、物理法則は変わらない。

今あなたが電車外にいて、「静止しているのは私である」という仮定のもとに運動方程式を解いて、ある物体の運動を求めたとする。しかし電車内にいる誰か別の人が「静止しているのは俺の方だ」と言って同様のことを行ったとしても、結果は同じになる。ではあなたとこの人の、どっちが正しいのか。もちろん、判定不可能である。

ガリレイ変換の物理的意味は、一つの物理現象を見る時、観測者が運動しながら見るとどう見え方が変るか、ということにある。ガリレオ・ガリレイの時代と言えば、天動説から地動説への変換の真っ最中であった。つまり、「地球が静止していると考えて天体の運動を考える」立場と「太陽が静止していると考えて天体の運動を考える」立場のどちらが正しいのかが論争の焦点となっていた。ガリレイ変換は等速直線運動どうしの変換であるから太陽と地球(円運動している)には直接当てはまらないが、地球の運動方向の変化が十分小さくなるほど短い時間で近似して考えれば「地球が静止している」座標系と「地球が運動している」座標系の変換はガリレイ変換で表せる。

2.4 「慣性系」の定義

以上でわかるように、ニュートンの運動方程式はガリレイ変換によって不変である。しかし例えば座標系原点を等加速度運動させたりすると、もはや新しい座標系では運動方程式が成立しなくなる。

そこで、ニュートンの運動方程式が成立する座標系を特別に「慣性系」と呼ぶ。ニュートンの運動方程式は上の座標変換で不変である。つまり、上の座標変換は、慣性系を別の慣性系に移すような座標変換である、ということが言える。

たとえば地球表面に固定した座標系は厳密には慣性系ではない。地球の回転によって、コリオリ力および遠心力というみかけの力が働く。また、慣性系xに対して加速度運動しているような座標系

x'=x -{1\over2}at^2

を導入したとすると、このx'系での運動方程式は

m\left({d^2 x'\over dt^2}+a\right)=F

あるいは

m {d^2 x'\over dt^2}= F-ma

となってしまう。つまりx'系は慣性系ではなく、運動方程式の力の部分に余分な項-maがつく。この項は「慣性力」と呼ばれる。加速している物体(発進する車など)の上の観測者が加速と逆向きに力が働いているように感じるのが、この慣性力のもっとも単純な例である。このような加速度のある座標系は特殊相対論ではあまり扱われないが、一般相対論では非常に重要になる。


[問い2-1]今、遊園地にあるフリーフォールの中での運動を考える。外から見ると、物体には重力が働くので、運動方程式は

m{d^2 y\over dt^2}=-mg

である(yは上向きを正としてとった鉛直方向の座標)。フリーフォールも加速度gで自由落下運動しているとして、フリーフォールが静止しているような座標系を設定し、その座標系で立てた運動方程式には重力の影響がないことを示せ。

とりあえず慣性系でない座標系のことは横に置いておくとして、

ガリレイ変換によって移り変わるどの慣性系においても、同じ運動の法則が成立する。

という原理を「ガリレイの相対性原理」と呼ぶ。この法則の「運動の法則」の部分を電磁気学を含めた「物理法則」に書き換えたいというのが相対論の目標である。後で詳しく述べるが、その目標達成のために「ガリレイ変換」の部分も「ローレンツ変換」に書き換えられることになる。

ローレンツ変換によって移り変わるどの慣性系においても、同じ物理法則が成立する。

というのが「特殊相対性原理」である*6

2.5 光の伝搬とガリレイ変換

lightcone.png

続く章の中でガリレイ変換に変わるローレンツ変換を導いていくが、その前に、ガリレイ変換の考え方では「光は誰が見ても同じ速度である」という事実を説明できそうにない、ということを確認しておこう。

光が一点からまわりに広がっていく、という現象は左側の図のように記述することができる。例によってz座標を省略している。この図では、光が通った跡は円錐のように見えるので、光円錐(light-cone)と呼ばれる。光円錐の中に書かれている太線矢印はある粒子の軌跡を表している。

この現象を、左に走りながらみたらどうなるだろう。ナイーブに考えると*7、ここではガリレイ変換を行えばよいと考えられる。左側の図をガリレイ変換すれば右側の図のようになる。ガリレイ変換を使って考えれば、図で右へ進む光は速くなり、左へ進む光は遅くなる。これは人間の直感には合う。しかし、直感が常に正しいとは限らない。後で述べるように、精密な実験は光速が変化しないことを示している。

lightcone2.png

しかし、光の速度は動きながらみても変わらないということが実験事実なので、光円錐の形は変化しないことになる。しかし、物体の運動に関しては変化している(これも実験事実!)。

ちなみに、光の速度は変化しないが、その様子(波長だとか振動数だとか)はいろいろと変わっている。どのように変化するのかについては今後の講義で話そう。とにかくここまでで感じて欲しいことは、「図Aを動きながら見たら図Bではなく図Cになるとしたら、図Aと図Cはどのような関係になっているのか」ということである。

「動きながら見るということは時々刻々位置が変化していく、ということだから、超平面の位置がこの図で見て水平方向にずれていくはずだ」という考え方(ガリレイ変換はまさにこういう変換なのである)をすると、どうしても結果は図Bになってしまう。図Aが図Cに変化するためには、この図の水平方向の動きだけではだめである。かならず「超平面を傾ける」というような操作が必要になる。実際にどんな操作なのかは以後の講義を聞いてのお楽しみであるが、このような操作がすなわち「4次元的に考える」ということなのである。

lightcone3.png

テキストには書いてなかったが、補足すると↑の図のように、「同時刻」の切り口が傾く。

超平面が傾くと、円が楕円になるんじゃないですか?

なります。というか、いっけん、楕円になるように見えます。実際のところどうなっているかは、本当のローレンツ変換が出てきたらわかるので、それをお楽しみに。

と、このあたりまでで今日の授業は終了、以下はたぶん飛ばします。読んでおいてください。

2.6 絶対空間に対するマッハの批判

ニュートンはニュートン力学を構築する時、「絶対空間」すなわち物体が静止していることの基準となる空間を仮定した。つまり、「静止している」ということが定義できるとしたのである。マッハはこれを批判し、「物体が静止しているかどうかを判定することはできない」と主張した。実際ニュートンの運動方程式はガリレイ変換で不変なのだから(動きながら見ても物理法則は変らないのだから)運動を見ているだけではその物体が静止しているかどうかを判定することはできない。観測者自身すら、止まっているのかどうかが判定できないからである。

この「動いているかどうか判定できない」というのは等速直線運動の場合に限る。たとえば観測者が回転運動をしていれば、遠心力を感じるので、遠心力があるか否かを実験することで「自分は回転しているのか」を判定することができる(数式上で言えば、先の計算のθが時間の関数であれば、運動方程式は不変ではない)。つまり、「静止系か否か」は実験で判断できないが「慣性系か否か」は判断できる、ということになる。

しかしマッハはこの考え方も批判していて「自分が静止していて宇宙全体が回転していたとしても遠心力が働くかもしれない」と述べている。たとえばバケツをぐるぐる回すと中の水面の中央がくぼむ。これは「バケツの回転による遠心力で水が外へ追いやられるから」と説明されるのが普通である。そして「バケツが回転している」と判断できることは絶対空間がある証拠であると考えられていた(これを「ニュートンのバケツ」と呼ぶ)。しかし、バケツが静止していて宇宙全体が回転していたとしても同じことが起こるかもしれない、「そんなことは起こらない」という根拠はどこにもないとマッハは言うのである。今のところ(?)、誰も宇宙全体を回転させるような実験はできないので、この真偽はもちろんわからない。マッハは「各々の物体がどのように運動するかは、まわりにある物体全体との相互作用によって決まるべきだ」という思想(マッハ原理と呼ばれる。アインシュタインもこの原理の信奉者だった)を持っていたので、安易に絶対空間を導入することに批判的だったのである。

マッハの批判から学ぶべきことは「観測されていないことを固定観念で「決まっている」と思い込んではいけない」ということである*8。ニュートンは実際には観測することができない「絶対空間」をあると仮定してニュートン力学を作った(実際にはこの仮定は必要ではない)。「絶対空間」が存在することは人間の感覚にはなんとなく、合う。だが、感覚を信用することは危険である。「物体に働く力は、物体の速度に比例する」という、人間の感覚に合うアリストテレスの理論が長い間信じられてきた(が間違っている)ということを思い出さなくてはいけない。

学生の感想・コメントから

光の速度を基準にして、私たちの速度を-30万キロ/秒として絶対空間にしてはいけないのですか?

光は四方八方に走るので、どの方向の光を見るかで絶対空間たくさんできちゃいますよ。

5次元、6次元はあるんですか?

あるかも?と言われてますが実際にあるかどうかはまだわかりません。

だんだん面白くなってきた。

どんどん面白くなりますよ。

普通に考えると、ナイーブな考え方(ガリレイ変換)に共感すると思う。アインシュタインはすごい。

アインシュタインがなぜそういうことができたか、というと、電磁気学をよ〜〜〜く勉強したからです。

剛体は6個の数字がいるので6次元ですか?

そうですね。6次元の力学系です。

空間方向には動けるけど時間方向には自由に動けないということは、時間と空間は違うものなのではないですか?

もちろん違うものですが「全然別のもの」ではないし、「まるっきり同じ」でもないのです。違うけども、関係はある。

もし人間が宇宙空間で生活してたら慣性の法則はもっと早く常識として発見されていたはずですね。

そうですね。摩擦や空気抵抗が、我々の常識をゆがませてしまっていたわけです。

ブラックホールの近くでは時間は止まるのでは?

止まるのですが、それは「遠くから見ると止まっている」のであって、その場所にいくとちゃんと時間は流れてます。

等速運動している船の上で船の速度と逆向きに船の速度と同じ速さで手を動かしながら落としたら、外から見るとまっすぐ落ちていくように見えるんですか?

そうなりますよ。前にテレビの「トリビアの泉」で走っている車から車の速度と同じ速さでボールを後ろに投げるとどうなるか、という実験をやってましたが、その場にぽとりと落ちました。

時間が傾くというのは、人によって時間の経ち方が変わったりするんでしょうか?

その通りです。時間の経過は人によって変わることもあるのです。

光速が不変だとなぜわかるのでしょう?

実験です。どういう実験かは、またそのうちに説明します。

量子力学ではガリレイ変換も使いますか?

使うこともあります。

最近だと、もう相対論は限定的にしか成立しないことになりそうだと聞きますが、旗色は悪いのですか?

いいえ。「そういう話もある」程度のことで、まだまだ安泰が続くと思います。

微分方程式って、相対論ではよく使いますか?

普通の物理と同じ程度には。ただし、一般相対論は微分方程式使いまくりです。

ガリレイ変換をせっかく勉強したのに、間違っているとは(多数)

人間の直感には合うんですが、実験では否定されてしまうので。

時間が傾くというのがまったくわからない(多数)

安心してください。今の段階ではわからなくて当然です。これから、じっくり説明していきますから。


*1 「その式、左辺と右辺で次元が違うじゃないか」「3次元空間で考えましょう」「そんな次元の低い話はしてないんだよ!」全部、意味が違うのに「次元」という同じ言葉が使われている。
*2 例えば、「北緯何度、東経何度、標高何メートル」。あるいは「ここから東に何メートル、南に何メートル、下に何メートル」。
*3 「空中に浮いて待ったり、地面に潜って待つことなどありえないのだから高さや標高は省略してよい」と考えると次元は一つ減って3次元になる。ただしこの場合1階と2階で互いに待ちぼうけを食わされる可能性がある。
*4 この話をすると必ず「ドラえもんの4次元ポケットはどうなっているのですか」という質問が出る。そんなことは藤子不二雄先生に聞いてほしい。おそらく、「4次元ポケット」の4次元は、空間だけで4次元なのだろうとは思うが。
*5 たまにいるのだ、「4次元ってのはものすごいことなんだ」と思い込んでいる人が。そういう人はむしろ、この話をきいてがっかりすることになる。
*6 さらに「一般座標変換によって移り変わるすべての座標系のおいてすべての物理法則が成立する」となると「一般相対性原理」。これを実現するのが一般相対論。
*7 「ナイーブ(naive)」という言葉は日本語だと良い意味にとられるが、英語では「だまされやすいばか」という意味にとられることが多い。特に物理で「ナイーブに考えると」という言葉は「間抜けが考えると」に近い。
*8 このあたりの「心」は量子力学にもつながるかもしれない。ただし、マッハ自身は量子力学どころか、分子論に対しても批判的であった。つまりは全てを疑ってかかる人だったのだろう。

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Last-modified: 2024-01-12 (金) 19:41:49