よく相対論の本では「運動すると物体の質量が増大する」という意味のことが書 いてある。この講義ではここまで一貫して質量mを定数として扱ってきた。で はこのmは増大するのだろうか?
もちろん、しない。では「運動すると物体の質量が増大する」とはどういう意味 なのか。ここで「そもそも質量の定義とは何か?」ということに立ち戻る必要が ある。 ニュートン力学における質量は運動方程式
もしくは
によって規定されている。相対論的力学でも、力としての方(4元力
ではなく)を使えば、ニュートンの運動方程式と同じ形の、
であるが、運動量はこの場合4元運動量であって、3次元運動量
とは少し違う。具体的には
となるわけであるが、この運動量のどこまでを「質量」と考え、どこまでを「速度」と考えるかには、
のような二つの流儀がある。なお、どちらかと言うと単に「質量」という時にはm、すなわち運動しているかいないかに関係なく同じ値をとるものを指す方が普通である。
どちらの流儀で考えるにせよ、ある力をdt秒間加えた時、
が
だけ増大するのは同じである。
なお、実際に
を時間で微分したとすると、
となる。つまり、力の方向と加速度
の方向は必ずしも一致しない。速度
と加速度
が直交しているような場合は第2項が消えるので非常に簡単になる。
磁場中を走る荷電粒子の場合、ローレンツ力*1を受けて円運動するが、加速度は速度と垂直(中心向き)に
となるので、
となって、半径がとなる。非相対論的な計算では分母の
は表れない。実験によって支持されるのはもちろん相対論的な計算であり、荷電粒子を磁場中で加速する(サイクロトロンなど)実験装置ではこのいわゆる「質量増大」の効果を考えて設計せねばならない。
逆に、運動方向と加速度が同じ方向を向いていると、また話が少し変わる。この場合、も
もx成分だけが零でないとすると、
となり、この場合はむしろ質量がに増えていることになる。こちらを「縦質量」、さっきの
を「横質量」として区別する場合もある。縦質量の方が横質量より大きいのは、横方向に押す場合はvの大きさは変化しない(つまり運動量の分母は変化しない)が、縦方向に押すとvの大きさを変える(運動量の分母も変える)のに余分な力が必要になるからである。このように、「質量が増大する」という考え方は、「質量」と「速度」の両方が時間的に変化すると考える分だけ、計算がかえって複雑になる場合もあり、あまり推奨されない。質量は常にmで一定だと考えて、運動量の式には分母に
があるのだとした方が簡便である。どちらの流儀でも、「相対論では運動量がmvではなく
になる」ということを把握しておけば問題はない。mの部分を「質量」と呼ぶか、
の部分を「質量」と呼ぶかは定義の問題である。ただし、上に述べたように
を「質量(または相対論的質量)」と呼ぶ流儀はかえってややこしくなることも多いので、最近はあまり使われていないので、使わないようにした方がよさそうである。
ここで、が有限で時間経過も有限である限り、
は有限の値を取ることに注意しよう。速度を増やしていくと、v=cとなったところで
は無限大となる。ゆえに、有限の力で有限の時間加速している限り、光速に達することはない。このことは光速cが物体の限界速度であることを示している。
ニュートン力学においては、運動量の保存則がどのように導かれたかを思い出そう。質量のN個の物体がそれぞれ
の運動量をもち、i番目の物体からj番目の物体へは力
が働くとすると、
である。これをiで足し上げると、
となる。
作用・反作用の法則により、(i番目がj番目に及ぼす力は、j番目がi番目に及ぼす力と同じ大きさで逆向き)である。
の和を取る段階でかならず
と
の両方の和が表れるので、この二つが消し合うことにより、
となる。すなわち、運動量の和は保存する。
相対論的力学においてもが成立しているので、
について作用・反作用の法則が成立していれば、同様に
の和が保存する。ここで、保存則が
ではなく
であることに注意せよ。固有時τ は粒子一個一個について独立に定義されているものだから、複数の粒子の運動量の固有時微分
を足すことには意味がない。作用・反作用の法則が成立するのも、
に対してではなく
に対してである。
なお、相対論では運動量とエネルギーは同じ4元運動量の空間成分と時間成分という形にまとまっているので、運動量だけが保存してエネルギーが保存しないとか、あるいはこの逆のことなどはあり得ない。違う座標系に移れば時間成分と空間成分は入り交じる(たとえば、というふうに)ので、全ての座標系で運動量保存則が成立するためには、エネルギーも保存していてくれないと困るのである。これは相対性原理からの帰結である。ニュートン力学では「摩擦があるからエネルギーが保存しない」という状況が許されたが、相対論的力学では摩擦によって失われたエネルギーもちゃんと勘定して保存する形になっていなくてはいけない。
上では作用・反作用の法則が成立ということを仮定したが、相対論の場合にはこの仮定にも注意が必要である。なぜなら、相対論では空間的に離れた場所での同時刻には意味がない。上の図では、離れた物体との間で力が「同時に」働いているかのごとく書いているが、実際にはそんなことは起きない(そもそも、力も光速より速く伝わるはずがない!)。したがって厳密には、作用・反作用の法則を単純に適用してよいのは、物体と物体が接触して(同一時空点に存在して)力を及ぼす場合である。クーロン力を「二つの電荷の押し合い(引き合い)」と考える場合、作用反作用の法則が成立しているとは限らない。ただし、クーロン力を「電荷と、その場所の電磁場との相互作用による力」と考えるならば、ちゃんと作用・反作用が成立するのだが、その場合は「電磁場の持つ運動量」を計算してやらなくてはいけない。
まずは物体が接触して衝突するという単純な問題の場合で相対論的な場合と非相対論的な場合にどのような差があるかを確認しておこう。
静止している質量mの物体に、同じ質量の物体が運動量を持って衝突したとする。結果として二つの物体の運動量が
になったとすると、
という式が成立する(運動量保存)。この式はが三角形を形作ることを示している。一方、非相対論的な計算では、エネルギーの保存則が
すなわち
となる。これからで作った三角形がピタゴラスの定理を満たすこと、すなわちこれが直角三角形となって、
と
が垂直であることがわかる。これはビリヤードの玉などでも確認できる現象である。
相対論的な計算では、エネルギー保存則は
となるので、もはやと
は直角ではなくなる。細かい計算は省略するが、角度θは90度より小さくなる。この現象は霧箱の中にβ線を入射させて、電子と衝突させるなどの実験で実際に起こることが確認されており、相対論的力学が正しいことの証拠の一つとなっている。
最初に注意しておくが、この節で扱う質量は、静止質量である。
すなわち、エネルギーE、運動量pとした時、
で定義されるところの質量(つまり速度や座標系によらずに定義される質量)である。物体が静止している場合はp=0となってとなる。エネルギーの負符号は許さない。許してしまうとエネルギー
はpが大きくなることによっていくらでも(
まで)小さくなれる。「物体はエネルギーの低い方に行きたがる」という原則からすると全ての物体がみな
へと落ち込みたがって具合いが悪い。エネルギーには底がないといけないのである(図参照)。
すでに述べたように、エネルギーは「運動量の時間成分」であり、物体が静止している場合でも
だけあることになる。cが
[m/s]であるから、これは非常に大きなエネルギーである(1gの質量は、
[J]、すなわち90兆ジュールのエネルギーに対応することになる)。
しかし、たとえエネルギーが だといっても、これよりも低いエネルギーの状態がないのなら、これには意味がない。エネルギーを取り出すには、状態をエネルギーのより低い状態に「落す」ことによってその差をもらいうける必要があるが、このエネルギーは最小値が
であるから、このエネルギーを取り出す方法がない。取り出せないエネルギーはいくら大きくとも意味がない。
質量を持った物体と質量を持った物体が反応してその総質量を変えるような過程があれば、この質量の差が物理現象にエネルギーの差として表れてくる。そこで以下で、そのような過程を相対論的に考えると(すなわち、ローレンツ不変性を要求していくと)どのような結果が得られるかを考察しよう。
今、質量mの二つの物体が逆向きの速度と
を持って正面衝突して合体したとしよう。単純に考えると質量2mの静止した物体が残る、と言いたいところだが、はたしてこんな現象は相対論的に正しいだろうか。
これらの物体の4元運動量を考えると、保存則の成立から
衝突前:と
であるから、
衝突後:
となることになる。は1より大きいから、衝突後の質量は2mより大きくなっていることになる。
こうなることが相対論的に考えれば必然であることを確認しよう。相対性原理により、同じ現象を、速度を持って運動している観測者が見たとしても同じことが結論できねばならない。この時、速度の合成則を使わねばならないので、速度
で動きながら速度
の物体を見た時の速度は、2vではなく、
であることに注意せよ。この速度に対応するγは、
となることに注意して、二つの座標系で運動量とエネルギーを計算してみる。
もう一方はもちろん静止して見えるので、
衝突前:
と
のような運動量を持っていることになる。この二つの和を取って、
衝突後:
となる。
と書くと、
という形になり、質量Mの粒子が速度vで動いている時の式となる。
以上からわかることは、二つの粒子が合体するという過程で、エネルギー保存、運動量保存を満足させたなら、必然的に質量は保存しないということである。
このことは以下のように考えることができる。そもそも質量はという式を満たしている。2個の粒子のエネルギーを足す時、Eは常に正であるから、純粋に足し算される。ところが運動量を足す時は、この二つがベクトルであるため、運良く同じ方向を向いていた場合以外は、単純な和よりも小さくなる。たとえば
というエネルギー、運動量を持った粒子と
というエネルギー、運動量を持った粒子二つをひとまとめに考えると、全エネルギーは
であり、全運動量は
であって、この大きさは
より大きくなることはない(たいてい、より小さい)。つまり合体の結果、より「時間成分が多い」ベクトルができあがる。これが質量を単純な和よりも大きくするのである。
相対論的に考えれば、かならずある座標系で見ればとなる。そうなっても
はもちろん0ではなく、しかもこの大きさは
より大きくなることがすぐにわかる。
左図のような4元ベクトルの足し算では、和の結果は元のベクトルを単純に足したものより長い(4次元的意味で、長い)ベクトルになるのである。
アインシュタイン自身は1905年の論文で以下のようにして質量とエネルギーが等価であることを導いている。今、静止した、質量Mの物体が反対向きに2個の光を出す。光のエネルギーが一個あたりEだとすると、物体のエネルギーは2E減るはずである。しかし、逆向きに飛び出したのであるから、物体の運動量は変化せず、今も止まっているはずである。これを、物体が速度V で動いて見える座標系から見たとする。Vの方向は光の飛び出した方向と同じだったとする(註:アインシュタインは角度θの方向に飛び出すとして一般的に解いている)。光はエネルギーEと運動量の大きさpの間にE=pcの関係があるので、物体の静止系ではエネルギーEで運動量である。運動している系では、これをローレンツ変換した量となる。表にまとめると、
静止系 | 運動系 | |||
エネルギー | 運動量 | エネルギー | 運動量 | |
物体 | ![]() | 0 | ![]() | ![]() |
光1 | E | E/c | ![]() | ![]() |
光2 | E | -E/c | ![]() | ![]() |
放射後の物体 | ![]() | 0 | ![]() | ![]() |
であり、この式を見ても、放射後の物体がの質量を持った物体として振る舞うことがわかる。なお、アインシュタインがこの式を導いた時、光のエネルギーと運動量が運動系でどのようになるのかはローレンツ変換によってではなく、電磁気の法則から導いている。アインシュタインはこのような考察から、どんな形であれエネルギーが放射されるとその物体の質量は
だけ減少するであろうと結論した。もし、そうならないとしたらその現象はローレンツ不変でないということになってしまって、相対論的考え方としては非常に不都合なことになってしまう。
同様に、熱も質量に貢献する。熱が移動するということはミクロにみれば分子の運動エネルギーが増すということである。N個の粒子からなる系があるとして、書く粒子が4元速度を持っている(Iは粒子を区別する添字とする)とすると、全体としては
の4元運動量を持つことになる。このN個の粒子が箱に閉じ込められた気体だとして、箱の静止系で見れば運動量の和
となる(全体として気体が動いてないのだから)。しかし
はもちろん0ではなく、単なる静止エネルギーの和
より大きくなる
。つまり、箱に入った気体のように、個々の構成粒子は運動しているが全体としては静止しているような物体の質量は、その運動エネルギーに対応する分だけ、大きくなるのである。
という式は原子力などでのみクローズアップされることが多いが、もちろん原子力特有のものではなく、全てのエネルギーで成立すると考えられる。たとえば伸び縮みしたばねは、自然長のバネより
だけ質量が大きいであろうと思われる。ただしこのような日常的なレベルでは
という数字の大きさのために、観測可能なほどの差にはならない。
ここに、電磁気学との関係についての話があったが、それは次回に回そう。
幸いにも、実験は質量とエネルギーの等価性を支持している。たとえばヘリウムHe(2つの陽子、2つの中性子、2つの電子からなる原子である)の質量は4.0026032497u(uは原子質量単位)であって、重水素(1つの陽子、1つの中性子、1つの電子よりなる)の質量2.01410177779uの2倍より少し軽い。そもそも原子質量単位は
C の質量を12uとして定義されているが、水素
Hの質量は1.0078250319uである。このように原子は構成要素である陽子や中性子の質量の和を取ったものよりも軽くなる。これを質量欠損と呼び、その原因は原子が作られる時に、γ線などのさまざまな形でエネルギーが放出されることである。鉄など、周期表で真ん中あたりにある元素は質量欠損の割合がもっとも大きく、その分安定であり、ウランなどを核分裂させるとエネルギーが得られる理由はこれである。
力の方向と加速度の方向が一致しないのはびっくりだ(複数)
運動量の式が速度の1次式じゃないので、ああいうことになってしまうわけです。
物体が二つに分裂した時に質量が増えて、かつエネルギーが放出されたら、どんどんエネルギー増えませんか。
その状況ならどんどんエネルギー増えてしまいます。実際に起こる現象としては、エネルギーが放出される時には質量が減ります。
二つの物体を合体させたあと、うまく離してやれば元より重くなっているんですか?
エネルギーが外に逃げないように「うまく」離してやれば、重くなってます。実際には多くが熱という形になるので、周りに熱を放出してしまうと元の質量に戻ります。
質量mの物体が二つに分かれると、それぞれの質量はm/2より重くなるのですか?
引き離す時、エネルギーを使って(外部から仕事をして)引き離したなら、そうなります。核分裂の時のように、自発的に、エネルギーを放出しながら分裂したのなら、軽くなります。
の内積
はどこから出てきたのですか?
その前の式でを微分した時です。
ですから、内積を微分したから内積なのです。
質量は同じ物でもエネルギーによって変わるいいかげんなもんだと思った。
同じ構成要素からできていても結合の仕方によって変わるのは確かですが、それって「いいかげん」とは違うような。たとえば水分子一個の質量はどんな水分子でも同じですよ。水素と酸素に分解すると質量変わりますが。
反物質と物質が触れると、質量が全てエネルギーに変わってしまうのはなぜでしょう?
今日話したように、相対論では質量保存則はないので、質量があるものが反応して質量がないものに変わっても(たとえば物質と反物質が反応してγ線になる)別に不思議でもなんでもありません。
物体同士が衝突して一体になったら重くなるんだとすると、人と人でも重くなりますか?
なるでしょう。計測不可能なほどにわずかですが。
は原子核とかの専用の式だと思ってました(複数)。
そういう人、多いです。でもどんなエネルギーでも同じなんです。
何度も何度も物を合体させていったら、測定できるほど重くなりますか?(複数)
合体させていく間、エネルギーが外に漏れないようにしているならば。しかし普通、熱とか音とかになるので、どんどん外に出て行きます。例えば石を石を何度もがっちゃんがっちゃんやっていると、熱くなっていくわけですが、手で持てない程に熱くなっても、まだまだ計測可能なほど重くはなってません。
以前何かで「論」と「学」の違いは全て解明されているかどうかの違いだと聞いたんですが、「相対論」や「波動論」は何がわかってないんですか?
わかってないことは特にないです。「相対論」や「波動論」の場合の「論」は「○○の理論」という意味だと思います。
のiを
と考えると、φは時間と空間の微分1回について90度ずれた三角関数と考えたのですが、4次元の長さの自乗
で空間と時間の符号が
だけ違うのと関係はありますか?
そことは関係ありませんね。量子力学の場合は運動量が、エネルギーが
と考えると、時間と空間の差はマイナス符号一つです。