3.5節で、フィゾーによる「エーテルの引き摺り」実験を紹介した。屈折率nの媒質が速さvで運動している場合、その媒質中の光速(媒質が運動していなければ)が
に変化するということであった。これを媒質中のエーテルは媒質のの速度で動いていると考えるとすると、たいへんおかしなことになる。nは振動数によって違うから、各々の振動数ごとに違う速度でエーテルが動いていることになってしまうのである。
相対論的な考え方では、この問題がどのように解決するかを見ておこう。まず、媒質と一緒に運動する座標系で考えると、この光の速度はである(念のため注意。この座標系でも、真空中の光の速度はcのままである)。ではこの速度を、媒質が運動している座標系で見るとどう見えるだろうか?---上の公式(速度の合成則)を、vが小さいと近似して展開すると、
となる*1。今考えている場合はなので、この式は
となり、フィゾーの実験結果と近似の範囲内で一致する。この計算では「エーテルの運動」などというものを考える必要は全くなく、「媒質の静止系では光速はだ。他の座標系でどうなるか知りたければ、単にローレンツ変換すればよい(速度の合成則を使って計算すればよい)」ということになる。振動数ごとに違う速度で走るエーテルなどという不自然なものは必要ない。
因果律とは「原因は結果に先行する」という原則であり、物理のというより、何らかの現象を考えるすべての学問において鉄則と言ってよいだろう。ガリレイ変換的な世界における因果律は
と表すことができる。&math(t_{原因});は原因となる事象が起こる時刻で、&math(t_{結果});は結果となる事象が起こる時刻である。相対論的に考える時は、条件がもっときつくなる。なぜなら、同時の相対性のおかげで、「ある座標系では&math(t_{原因}<t_{結果});だが、別の座標系では&math(t'_{原因}>t'_{結果});」ということが起こってしまう可能性がある。そこで相対論的因果律は、
と表現される。結局、「結果」となる事象は「原因」から見て、未来に向いた光円錐の内側になくてはいけないことになる(逆に「原因」は「結果から見て過去に向いた光円錐の内側にある)。
「現在」であるある点から見て、未来向きの光円錐の内側(側面を含む)を「因果的未来」と呼ぶ。「現在」で起こることの影響は、因果的未来にのみ及ぶ。また、「現在」に影響を及ぼしているのは過去向き光円錐の内側(「因果的過去」と呼ぶ)のみである。「因果的未来」でも「因果的過去」でもない領域は、現在とは因果関係がない(現在の場所にいる粒子の未来においては影響を及ぼす可能性がある)。
相対論的因果律がほんとうに満たされているかどうかはわからないが、既知の(相対論的に正しい)物理法則はこれを満たしているように見える。 上で速度の合成則から、「いくら速度を足していってもcを超えない」ことがわかっている。これはつまり、「どんなにがんばって加速しても光速以上には加速できない」ということである。物理法則は因果律を破れないように作られているらしい。
この部分は授業では話さない可能性もあるが、その場合は読んでおいてください。
もし超光速で移動することが可能であったならば、それはタイムマシンがあるのと同じことになる。なぜなら、ある座標系において超光速で移動することは、別の座標系から見ると「未来から過去へ」という移動を行っていることになるからである。右の図のPからQへという移動は、座標系Bで見れば「過去から未来へ」という運動だが、座標系Aで見れば「未来から過去へ」という運動になる。
もし、「座標系Aで見て超光速で動ける物体」と「座標系Bで見て超光速で動ける物体」が二つ用意できれば、その二つの組み合わせによって「未来から過去へ」という移動が可能になる。図のP→Q→P'という運動を見てみよう。P→Qは座標系Bでの超光速、Q→P'は座標系Aでの超光速移動である。そしてP→P'という移動は、場所は移動せず時間だけを遡っていることになる*2。
このような因果律を破る現象が存在しているとするとSFなどで有名な「自分が生まれる前に戻って自分の親を殺したらどうなるのか?」というパラドックスが発生することになる。親が死んだので自分が生まれないとすると、生まれない自分はタイムマシンで元に戻ることはない。ということは親は死ぬことなく、自分は生まれる。生まれた自分は親をタイムマシンで殺しに行く。すると自分は生まれない…と論理が堂々巡りし、結局何が起こるのか、さっぱりわからなくなるのである。これを物理の言葉で述べると「与えられた初期条件に対して適切な解が存在しない」ということになる。因果律が破れているということは「初期条件」では決まらない要素(未来から来た自分)が問題に入ってくるということなので、こういう困ったことになる。困ったことになるのは嫌なので、因果律は破れないようになっていると思いたいところである。
ドップラー効果については音の方が有名である。まず音の場合のドップラ─効果がどのような現象であるかを思い出す。そこでまず気をつけて欲しいのは、「ドップラ─効果」と呼ばれている現象は実は二つの現象を合わせたものだということである。それは
1. 音源が移動していることによって、波長が変化し、結果として振動数が変化する。
2. 観測者が移動していることによって、見掛けの音速が変化し、結果として振動数が変化する。
振動数fは波長λと音速Vによって、と書かれる。1.は、この式の分母の変化である。図で書けば右のようになる。これは音源が動きながら音を出している様子である。音源が動いても、まわりの空気(音の媒質)はいっしょに動いているわけではないので、音を出した場所を中心として球状に(図では円状になっている)広がる。音が広がるまでの間に音源が移動しているので、前方では波がつまり(波長が短くなり)、後方では波が広がる(波長が長くなる)。
これに対して2.は、の分子の方の変化である。同じ波長の波が来たとしても、自分が波に立ち向かっていくならば、1秒間に遭遇する波の数が増える。逆に波から遠ざかるならば、波の数が減る。
しかしこのような説明を聞いた後で、「さて光の場合のドップラー効果はどうなるのか」と考えると、ちょっと不思議なことに気づくだろう。音の場合、観測者の運動によって音速が変る(2.の場合)。だから音の振動数が変化するわけである。しかし光の場合、そんなことは起きない(光速度不変の原理!)。では光の場合、「観測者が運動している場合のドップラー効果」は存在しないのか。もちろんそんなことはない。以下で、まず図を書いて考えてみよう。
上左の図は、静止した波源から波(光もしくは音)が出ている状況の時空図である。波は上下左右前後に(図では例によって空間軸を一つ省略している)均等に広がっていく。それゆえ、異った時刻に発生した波の波面は同心球(図では同心円)を描く。
これを動きながらみたらどのように見えるかを表したのが上中、上右の図であり、それぞれ光の場合と音の場合である。光の場合、光速度不変により、光円錐は傾かない。しかし、波源(光源)が刻一刻動いているので、今度は同心球とはならず、進行方向の前では波がつまり、後ろでは波が広がる。
音の場合はどうかというと、波源(音源)の動きと同じ速さで空気も動いているので、音の球はいわば、風に流される状態になる。ゆえに「音円錐*3」は風で流される分、傾く。音源と媒質が同じ速度で動いているので、波面は球状に広がりながら流されていき、同心球はたもたれる。つまりこの場合、波長は変化しない。しかし前方では波がそれだけ速くなっており、同じ波長でも速さが速い分振動数が多くなっている*4。
今考えた二つ(上中、上右図)は同じ現象を動きながら見た場合であった。そのため、音の場合、音源と同じ速度で媒質(空気)が動いていた。では空気の中を音源が動くとどうなるかを書いたのが右の図である。この場合、音円錐は傾かないが音源の動きのせいで波面が同心球にならない。つまりこの場合、波長が変化することで振動数が変化している(音速は変化していない)。
波の振動数νは波長λと波の伝わる速さvで表すとであるが、音の場合、波源が動いたならばλが変化し、観測者が動いたら音速vが変化する。光の場合、速さvは変化しないので、変化は全て波長の変化に帰着される。しかし、その波長が変化する理由は実は二つある。一つは図に現れている、波と波の間隔がつまるという現象である。もう一つ、いわゆるウラシマ効果によって、波源(光源)が波を出してから次に波を出すまでの間隔がのびる。この二つの効果によって光の波長が変化し、ゆえに振動数が変化するのである。このように、光速度不変(cは観測者の速度によって変化しない)であっても、振動数や波長は観測者の速度によって変化しうる。
では、どのように光のドップラー効果が起こるかを、ローレンツ変換の式を使って計算してみよう。光の振動数(ただし、音源が静止している場合に出す光の振動数)をとする。光源の静止系(x'系とする。)では、「山」を出してから次に「山」を出すまでの時間はであるから、光の「山」が出た時空点を(nは整数)と考えることができる。これをローレンツ変換すると、となる。つまりこれが光源が動いている座標系において光の「山」が出た時空点である。
もっとも簡単な場合として、光源の進んでいく先にあたる場所(x,y,z)=(L,0,0)(Lは大きく、まだ光源はここまで達していないと考える)でこの光を観測したとすると、光は出てから の距離だけ走ってこの場所に到達することになる。その時刻は
#math(\underbrace{ \gamma {n\over \nu_0}}_{山が出た時刻} + \underbrace{{L-\gamma\beta{nc\over \nu_0}\over c}}_{光が到着するのにかかる時間}= {L\over c} + \gamma(1-\beta){n\over \nu_0}) である。nが1違うと、この時刻は&mimetex(\gamma(1-\beta){1\over \nu_0});だけ違う。ゆえに、振動数は
と変化していることになる。より一般的に、に来た光の振動数を考えよう。この場所に「山」がやってくる時刻はLが大きいとして近似すると、
となる。nが1変化するとこの時刻は変化するので、振動数は
となる。
(ガリレイ変換を使った場合の)音のドップラー効果との顕著な違いは、進行方向に対して真横の方向へ進む光(上の式でに対応する)にも振動数変化があらわれることである。これはウラシマ効果によるもので、音ではそのような結果は出ない。これを「横ドップラー効果」と呼ぶ。銀河のいくつかはその中心核から「宇宙ジェット」と呼ばれる亜光速のガス流を出しているが、そのガスが出す光が横ドップラー効果を起していることが確認されている。
ここまで学習した相対論的な考え方は「ミンコフスキー空間」と呼ばれる「時間 1次元+空間3次元の時空間」での幾何学としてまとめなおすことができる。こ の章でここまでの結果を``4次元的な視点''から考え直そう。
ここまででわかった大事なことはローレンツ変換によって移り変わる二つの座標 系(ct,x,y,z)と(ct',x',y',z')の間に、
あるいは
という関係が成立することである。
もともとローレンツ変換を求める時においた要請1.はの値の不変性ではなく、「ならば、であれ」という条件であった。しかし、これに要請2.(一様性)と要請3.(等方性)を加えることで、が不変でなくてはならないことがわかった。
この量あるいはを、「4次元的距離の自乗」と呼ぶ。この式のうち時間成分を除いたは3次元空間における距離の自乗である。3次元において、距離の自乗は回転(および反転)という座標変換に対して不変であった。その4次元バージョンであるは回転・反転だけでなく、ローレンツ変換に対して不変となっている。 物理において大事なのは「座標変換によって変わらない量」である(座標は所詮、人間の都合で決めたものであるから、座標によらない量こそが本質なのである)。そういう意味で、4次元的に考える時(つまり相対論的に考える時)には3次元の距離よりも4次元的な距離の方がずっと物理的意味が大きい。
4次元的な距離の自乗を不変にする変換を(3次元的な回転や反転もひっくるめて)「ローレンツ変換」と呼ぶ場合もある。ローレンツ変換をテンソルを使って表現するとであるが、この変換の行列はを満たす。このような行列で表される変換は、すべて広い意味でのローレンツ変換である。
#math({ 広い意味のローレンツ変換\atop \left({\small -(ct)^2+x^2+y^2+z^2を不変に保つ}\right)}=\cases{狭い意味のローレンツ変換&$\left(\begin{array}{rl}x'=&\gamma(x-\beta ct)\\ct'=&\gamma(ct-\beta x)\end{array}など\right)$\cr回転/反転& ({\small を不変に保つ})})
狭い意味のローレンツ変換は「boost」と呼ばれることもある。
次の図は、(x,y)面において一定となる線と、(x,ct)面において一定となる線を書いたものである。右の図は「等距離の点」には見えないが、4次元的な意味で「等距離の点」なのである。
ローレンツ変換によって保存される量は3次元的な意味での長さであるところのではなく、4次元的な意味での長さである。ある点(t,x,y,z)と、それから(時間的にも空間的にも)微小距離だけ離れた点(t+dt,x+dx,y+dy,z+dz)との間の距離をdsとした時、
として、4次元的な微小長さ(「線素」と呼ぶ)を定義する。
はいろんな符号がありえる。符号によって
空間的(space-like) | ||
ヌル的(null-like) | ||
時間的(time-like) |
のように4次元距離を分類する。「ヌル的」は「光的(light-like)」と言う場合もある。
本によって、上の式をと定義する場合(timelike convention)と、と定義する場合(spacelike convention) がある。前者は、通常の粒子の場合となる点が好ましい。後者は、3次元部分だけを見るとユークリッド空間での線素の長さと等しい点が好ましい。どちらを使うかはその人の流儀であって、どちらを使っても物理的内容に違いはない。ここではspacelike conventionの方を使う。
このようにして距離が定義された空間をミンコフスキー(Minkowski)空間といい、この空間での距離の計算の仕方を示すという記号およびこの記号を使って測られる距離のことを「ミンコフスキー計量」と言う。
ちなみに、普通の空間、すなわち距離が
で定義された空間は「ユークリッド空間」(正確には「3次元ユークリッド空間」)と呼び、行列はユークリッド計量と呼ぶ。
4次元的な考え方と言っても内容は変わっていない。アインシュタイン自身もミンコフスキーがこういう書き方を始めた時、「数学的な話で、物理の理解とは関係ない」と思っていたらしい*5。しかし、このような表示によって相対論を考えることが劇的に簡単になる(アインシュタインもすぐにそれに気づいて自分でも使い始めている)。
で、ミンコフスキー空間はどう役に立つか、という話は、来週から
タイムマシンができないと聞いてショック。超光速が実現して欲しい(複数)。
うん、気持ちは分かる。ただ実現は難しそうです。
テレビを見る時動きながら見ると色が変わりますか?
ものすご〜く早く動けば。普通の速度で動いても、色の変化が感知できるほど光の振動数は変わりません。
タイムマシンの話をしていましたが、地球上という座標系で超光速移動する限り、未来への一方通行しかできないような気がするんですけど、そうじゃないんですか?
その通りです。座標系一つなら一方通行しかできません。ローレンツ変換で移れるような座標系を二つ持ってくると、ある座標系では過去→未来という移動が別の座標系では未来→過去になるため、タイムマシンができます。
が不変なのに、プラスになったりマイナスになったりするのはなぜですか?
「不変」というのは「ローレンツ変換しても変わらない」という意味です。つまり、が最初プラスなら、ローレンツ変換した後もプラス(値も等しい)、ということ。時空間に線を引けばその線のは決まります。
を近似して計算してましたが、分母のを0にしてはいけないのはなぜですか?
確かにを見ると、分母にcがいて小さくなりそうです。しかし実際に展開してみると、このcは分子のcが掛け算されて消えてしまうのです。結果を見てみると、分母のは残すべきオーダーのところなのです。どこまで残すべきかは、計算が終わった後のcの次数で考えます。最初のc/nは1次ですからもちろん残します。分子のvと、分母のは実際にはcの0次です。今、cの1次だけだったらフィゾーの実験の効果は出てないので、cの0次まで残します。cの-1次はもう実験結果では測定できない範囲なので関係ありません。
加速器で電子を光速の99.999999…%に加速すると、質量はどうなりますか?
後で説明しますが、この場合電子のエネルギーが∞に近づいていきます。今ある加速器の場合、電子の静止エネルギーに比べて100万倍ぐらいまで加速できます。
ミンコフスキーがミノフスキーに見えてきた。
という人もまた、毎年いたりする。
の最初のマイナスの利点はローレンツ不変になることだけですか?
「だけ」と言えばだけですが、この利点ってすごく大きいんですよ。
どこでもドアがあるとタイムマシンになるという話ですが、どこでもドアを作るには、人間を原子に分解して目的地に送ってから再構成すればいいでしょうか?
そんなふうに原子にわけて運んだとすると、亜光速でしか送れないので、タイムマシンになりませんね。残念でした。
横ドップラー効果を目で見るとどんな感じですか?
実際のところ、横ドップラー効果を起こしているガスは単色光を出しているわけではないので、カラフルに色がついたりはしません。これまた残念ですが。
波動関数の収縮が超光速で起これば、因果律が破れるのじゃないかと思いました。
残念ながら、波動関数の収縮を使っても情報を送ることができないので、超光速で収縮しても因果律を破る役には立ちません。残念な話ばっかりですが。